ご近所の工事の音で,朝から目が覚める。うるさいなぁ,もう・・・。でも,母に愚痴をこぼしたら,「朝の8時なら,もう文句言えないよ」と言われた。まぁね・・・
洗濯と掃除。あぁ,部屋が汚いなあ。。。
3時30分に家を出て,病院へ。
いつものように「よぉぉ」と手を挙げながら入っていくと,父はワタシの顔を見て,ニッコリした。ちょっとホッとする。しかし,間もなく,「お腹がすいたなぁ」と言い出した。
「あれ?朝と昼の栄養なかったん?」(どうしても,まだ「食事」とは言えないワタシ)と聞くと,「そんなもの無かったよ」と言う。あれぇぇ??
今日の父は,熱もなく,特に下痢が酷そうなわけでもない。栄養中止の理由もないし・・・
父の言葉を間に受けて,看護師さんにこっそり尋ねてみたら,「ええ,朝も昼も,ちゃんとありましたよ」とのコト。
「パパぁ・・・ちゃんと栄養あったってよ。ウトウトしていて,覚えてないんちがう??」と言うと,「勝手に入れられたらかなわんな・・・」と言う。「なんで?」と聞くと「だって,口からのほうがいいから」と。「・・・・・・・」
そして,「人が寝ている間に勝手に入れるなんて,看護婦の悪質な手口だよ」と,眉をひそめて言う。もう,なんていったら,いいのか・・・。「勝手には入れないと思うよ。ちゃんと声をかけるはずだから,パパ,ちゃんと起きてなあかんわ」と言う。
6時,夕食の配膳が始まった。父は目をつぶっている。
お隣の,パーキンソン病のおじさんは,奥さんと娘さんが食事の介助に通ってきている。カーテンの向こうで,「今日はなにかなぁ・・・わぁ,お父さん。美味しそうやで。ハンバーグにあんかけやわ」という声が聞こえる。それらしい匂いがする。
こういうのは,何度聞いても,むごいなあ・・・と感じるのは,こっちの都合なのだろう。
父の斜め向かいにいる患者さんは,一日中,カーテンをくるりと囲って,ひきこもっている。気が滅入るのか,時々,かんしゃくを起こしたような声を出して,ワタシたちを見ても,にらみつけるようにするので,あまり好きじゃない。
今日は特に機嫌が悪いのか,それとも容態が悪いのか,夕食を病室に響き渡るぐらいの音をさせて,乱暴に食べている。汁気のおおい食事を,流し込むかのように,ズルズルと大きな音をさせて。ラーメンでも食べているみたい。
父がふと,「あぁ,焼きうどんが食べたいなぁ」と言った。「うん」と言うと,「それか,焼きそばが食べたいなぁ」と言う。父もやはり,この音で麺を連想したのか。「・・・うん」と,言って知らん顔をしていると,急に父が怒鳴るように大声をはりあげた。
「スズメの子~そこのけそこのけ,お馬がとおる~」「やれ打つな~ハエが手をする,足をする~」
ワタシもギョッとしたが,病室中が,一瞬,しーんとしてしまった。なんだかよくわからないが,「・・・それ,小林一茶?」ときくと,父は落ち着いた声で「そうそう。一茶だ」と言った。
そして今度は,「春の海~ひねもすのたりのたりかな~」と,また百人一首でも読むように,大声をはりあげた。
「・・・・・それは,誰や?」「これは蕪村だね」「ふうん・・・」
「他の人に迷惑だから大声ださないで!」とは言わない。もう,いいよ。病院なんだから。おかしい人は,他にもたくさんいるんだから。父だって,時には大声を出したくもなるのだろう。
あれ?スズメの子・・・は,一茶だっけ?良寛さんじゃなかった?国文卒なのに,ワタシもこういうのは自信がない。
ほかの人たちの食事があらかた終わったあと,6時半ごろ,父の栄養が始まった。父は今度はしっかり目をあけて,注射器からチューブに注入される様子を,じっと見ていた。
看護師さんが「10分したら,また入れに来ますね」と去ったあと,「もったいないことをするねぇ」と言う。「なんで?」と聞くと,「口から入れればいいものを」「・・・・・」
ここへ来る直前,ワタシと弟が一ヶ月間,昼と夜に食事介助に通い,絶対にむせないように,誤嚥しないように,まるで見張るようにして,父に食事をさせた。ワタシたちもキツかったが,父も,かなり辛かったに違いない。
父にそのコトを覚えているかどうか,尋ねてみた。「それって,いつのこと?去年のコトか?」・・・父はもう,忘れてしまっているようだった。
自分にとって,しんどかったコトとか,イヤだったコトって,余計に記憶から抜け落ちてしまいやすいのかな。
7時過ぎ,帰るコトにした。「もう帰るよ」と言いながら,父の歯をみたら,下の歯茎から血が出ているように見えた。歯槽膿漏かな・・・気になったので,「ちょっと歯見せて。イーってしてみて」と言うと,父は「イーっ」と言って歯を見せた。歯茎をさわって観察していると,それが不愉快だったのか,「イーっ,イーっ,イーっっ!!!」と,だんだん声を荒げて怒鳴り,ワタシを睨みつけた。
「わかったわかった」と,退散。
癌患者などが,自分の状況を受容していく過程で,「怒り」にとらわれる時期があると,なにかの本で読んだコトがある。あれ?癌患者じゃなくて,親しい人を亡くした人のコトだったか?とにかく,人は,いくつかの段階を経て,物事を静かに受容していくのだ。
やたらに怒鳴る父を見ていて,そんなコトを思い出していた。