人気ブログランキング | 話題のタグを見る

2007・8・4 術後2日目。

8時起床。

朝から弟と大ケンカ。きっかけは,些細な一言なのだが,些細とは言え,聞き逃せない一言。。。


「基本的に愛情が薄いからそんな風な言動になるんや」とワタシは言い,「『パパ可哀相』だけで動くのが,空回りや自己満足になってるコトがわからんのか」と弟は言い返す。「お前にだけはそんなコト言われる筋合いはないわ!」とさらに言い返し,母を巻きこんで,スッタモンダする。

血をわけた兄弟だが,これほど他人だとは思わなかった。お互いの考え方が根本からまったく違うコトを再認識して,疲れただけ。ただ,これからは何かあっても,「考え方があれほど遠いんだから」と納得できるに違いない。


父がまだ,なんとか食べられていた頃,昼間に面会にいける休日に,ワタシはいつも,なにか美味しいモノ(たとえば『○ロゾフのプリン』とか)を買っていった。まずいミキサー食に辟易している父に,週一でも,美味しいものを食べさせて,喜ばせてやりたいと思うからだ。

弟は,余計なものを持っていってくれたコトがなかった。便秘予防のヨーグルトなどは別だが,ただ単に,父を喜ばすためには,プリンなど一度も持っていってくれたコトがない。

ワタシはそういうヤツを,「冷たいヤツ」だと思っていたが,弟は,たまに美味しいモノを持っていくワタシを「残酷なコトをする」と思っていたらしい。

美味しいモノを食べて,父が「あぁ,世の中にはこんな美味しいモノがあったなぁ」と感じても,自分で売店に買いに行くコトはできない。そんな父に,そんな味を思い出させるコトは,残酷だ,と言うのだ。そして,それはワタシの「自己満足」に過ぎない,と。


ごく平凡なつまらない例だが,なんとなく,これで全てが理解できるような気がする。弟には,「たとえ一瞬でも」(喜ばせてやろう)とか「ほんのわずかでも」(楽しい気分にさせてやろう)とかいう考えがないのだ。それがすべての行動の基本になっているワタシとは,うまくいくはずがない。

プリンだけなら話は簡単だが,なにかを選択する時に,いつもこのベースの違いがネックになってきた気がする。いくら話しあっても,相容れないはずだ。


頭にきたので,早めに病院に出かけた。11時30分に病室へ着く。


一日2回の抗生剤の点滴が追加されていた。傷の炎症をふせぐためだろう。

心配していた父の痛みは,昨日よりも明らかにマシになっているようで,少しホッとする。「ゆうべは座薬が効いた?ちゃんと寝れた?」とたずねるが,どうもよくわからないらしい。まぁ,多少は効いて,少しは眠れたのだろう。

痛い痛い,といって,ワタシにあたるコトは,今日はなかった。ただ,じっと寝ているのがかなり辛いらしい。


主治医がやってきて,経過を説明してくれた。傷口の消毒をしたが,綺麗になっているので問題はなし。ただ,2週間は様子を見る必要がある。特に,術後の2~3日は,腹膜炎などを起こすリスクが高いので,要注意,とのコト。


ただ,父のベッド脇で,本を読んだり携帯をいじくっているだけだったが,やっぱり父は,誰かがいると安心なようだった。便意を訴えるので,あわてたが,傷口が痛むので車椅子に移乗は無理だ。オムツにさせるのは可哀相なので,便器をかりて尻の下にあてた。これ,プラスチックだから,結構痛いんだよね。。。特に父は痩せてしまって,お尻に肉がないもんだから。

「痛いし,やっぱり出ない」と,早々にギブアップ。

しばらくすると,「オシッコ出る」というので,尿器をあてる。尿器なら簡単だ。でも,出ない。


父はベッド脇の時計を,1時間置きぐらいにちらりと見る。その意味が全然わからなかった。ワタシの帰る時間を気にしているのか,あるいは,ワタシにそろそろ帰ってもらいたい,と思っているのか・・・聞いてみても,なんかどちらも違うようだし。

帰る頃になって,やっとわかった。父はリハビリの時間を気にしているのだ。

ここは,リハビリ病院ではなく,治療のために移った病院なのだから,リハビリはしなくていい。第一,傷が痛いうちは,リハビリは無理だから,と,何度も何度も説明している。でも父は,やっぱり全部をちゃんとはわかっていないようだ。

リハビリ病院にいると,午前と午後,2回のリハビリがある。時間になると,療法士のセンセイが,「○○さん~リハビリ行きましょうか」と迎えにくる。


「いつまで経っても,迎えにこないなぁ,と思ってたよ」と言うので,もう一度説明をする。「わかった?」「・・・わかったような,わからんような。でもまぁ,いいよ」「・・・・・」

「そんなにリハビリが気になる?」「気になる」「リハビリしたい?」「いや,したくない」「リハビリ,辛かった?」「・・・すごく辛かったねぇ」

・・・父のためとは言え,父がとても辛い,と感じるコトを,ワタシたちはさせていたのだなぁ・・・でもなぁ・・・・・


「ところでオシッコでないの?」「出た気がする」「え!??オムツ気持ち悪いか??」「・・・気持ち悪いかなぁ」

「ちょっと失礼」とオムツを開けてみると,父のオチンチンにぐるぐる巻きにされていた尿取りパッドが,ずっしりと濡れて重くなっていた。出た出た!これは気持ち悪いよな。新しいパッドに替えておいた。


7時半頃,さすがにへとへとになってきた。時々「トイレ」とか「電話」とか誤魔化して,談話室へ行き,パンを食べたりジュースを飲んだりはした。でも,昼前からいると,さすがに疲れる。しかも,パイプ椅子はペコペコで座り心地が怖ろしく悪い。弟は昨日,朝の9時から6時半まで,ずっとここに居てくれたのだ,と思うと,今になって少し気の毒に思った。


「パパ,もう疲れたから帰るわ」と言うと,意外にも「もう帰るの?」と言われる。むぅぅ。「帰る」と言うと,とたんに不穏なカンジになるのは,やはり,病院に取り残される不安が大きいのだろう。今回の「胃ろう」の処置も,かなり父に,精神的・肉体的ダメージを与えたようだ。

「また明日くるからね」と言いつつ,父の顔が少し赤いのに気づく。看護師さんに熱を測ってもらうと,38℃あった。

氷枕をしてもらい,解熱のための座薬を入れてもらうコトにした。また不安を残しながら,病室を出た。
# by rompop | 2007-08-04 19:48 | ホスピタル

2007・8・3 術後。

9時から病室で待機している弟から電話。

父の手術は夕方になりそうだ,とのコト。昨日の話と随分ちがう。

早退しようか,と思っていたが,弟がいてくれるそうなので,仕事を終えてから病院へ行くコトにした。


1日中,父のコトが気になる。


6時30分に着くと,母と弟がいた。入れ違いに二人を帰す。

ブルーの手術着を着せられた父の腹部には傷口保護のカップが張り付けてある。


主治医の話では,局所麻酔の効きがなぜか悪くて,父はずいぶん苦しんだらしい。

その麻酔も切れてきたせいか,しきりに痛みを訴える。痛みのせいか,声を荒げてワタシに八つ当たりする。

かと思えばウトウトしたり。痛みに波があるようだ。

痛み止めでコントロールしてくれるよう頼んだが,血圧変動が不安なので,なるべく薬を使いたくない,と主治医。

そうすると,父は「じゃあ我慢します」と言う。

時間なので帰ろうとすると,一気に不安になったのか,痛いだの,胸が苦しいだの言い出し,少し不穏な感じになりかける。


見かねた看護師さんが血圧を計り,痛み止めの座薬を入れてくれた。少しは効いてくれればいいが。


後ろ髪ひかれる思いで,帰宅。
# by rompop | 2007-08-03 16:10 | ホスピタル

2007・8・2 Mセンセイ。

病院へ。間違えて隣のリハビリ病院のほうへ行きそうになる。


どうやら今日は雨は降らず,助かった。

午後に引越し,各種検査。弟は主治医からさらに詳しく説明を受け,結構遅くなったようだ。

父は新しい病室で落ち着いていた。今回は,どこにいるか,ちゃんと理解しているようなので安心。


いつものように,転院手続はすべて弟任せだったので,主治医からどういう話があったのか気になり,病院から家へ電話する。今日は心電図やレントゲン,その他の検査をしただけで,造設の日取りについては,とくに言及されなかったという。

ネットなどでみて気になっていた,チューブ型とボタン型の違いについて,なにか説明があったか確認するが,特になかったそう。

胃ろうを造り,腹に,栄養チューブに接続するための器具を取り付けるのだが,それには2種類あるようだ。短いチューブが飛び出しているものと,ボタン型という,まぁ,ビーチボールの空気を入れる箇所を想像してもらえればイイのだが,ああいう,フラットなカンジのもの。

どちらにも,メリットやデメリットがあるようだが,選べるならなるべく本人が気にしないですむ形のほうがいいな,と思った。


しかし弟は,そんなことはどうでもイイようで,ワタシが渡したいろんなHPの情報すら,チラッと読んだだけだった。

主治医に確認するなら早いほうがイイなぁ。。。と思っているところへ,担当の看護師さんが点滴にやってきて,「造設は明日の予定になってます」と言われる。「どなたかご家族に来て頂けますか?」とのコト。

これまた随分,早い展開だ。転院の翌日にさっそくやるとは。。。しかも,内視鏡の外来の合間を縫ってやるので,正確な時間がちょっとわからない,という。いちおう,午前中になるかもしれないので,朝から来てください,と言われるので,また弟に電話を入れる。


主治医はもう,この時間にはいないので,その看護師さんに質問してみた。いちおうこの病院では,最初の造設では,「お腹に優しい」チューブ型を取り付けるそうだ。半年ぐらいで交換しないといけないので,その時に希望があれば,ボタン型に変更も可能だそう。交換はごく簡単だそうだ。ただ,患者本人がどうしても触ってしまったり,認知症などがあって,抜いてしまう恐れがある場合は,交換時期を待たずに,すぐに変更するコトもある,という。

ネットで調べただけの情報だが,チューブ型は,長さが少しある分,栄養チューブにつなぐのがやりやすい。ただ,自己抜去しやすいのと,目立ってしまうのがネック。ボタン型は,目立たなくて良いのだが,栄養チューブをつなぐとき,開閉しにくいコトがあるとか。

そういえば,リハビリ病院にいた患者さんたちは,みんなチューブ型だったなぁ。。。と思う。

器具の交換についても,気になっていたので聞いてみた。基本的に,交換時期には「外来受診してください」と言われる。でも,在宅ならともかく,遠方の病院にいる場合,交換のためだけに,いちいち介護タクシーなどで父を連れてくるのは大変だ。

その場合,その病院や近くに消化器内科があって,交換が可能ならばそこでしてもらえるとのコト。これは,落ち着いた先で確認するしかない。

「でも,重度の寝たきりなどで,絶対に動かせないような患者さんで,近くに交換してくれる医者がいなかったら,どうされるんですか?」と聞いてみたら,「そんな重度の寝たきり患者さんになると,胃ろう自体が難しくなると思います。内臓の状態もあまり悪くなると,適応外になりますから」とのコト。

・・・・なるほど。そんな状態になってしまったら,胃ろうではなく,点滴などの栄養しかできないのかもしれない。

とりあえず,よくわかっている看護師さんで,ヨカッタ。疑問は解決。


父には,「明日だって」と言おうかどうしようか,迷った。緊張して眠れなくなっても困るし。。。

と思っているところへ,前回,誤嚥性肺炎で入院した時の主治医だった,Mセンセイが病室へこられた。とても若くて(下手したら20代かな?),弟は「なんか頼りない」と言っていたが,ワタシは,なかなか良いセンセイだな,と思っている。

若くてキャリアがない分,なにごとも一生懸命で,患者の気持ちや家族の気持ちに,なるべく寄り添おうとしてくれるのがわかる。つまらない質問にも,何度でも丁寧に答えてくれる。ワタシも,素人ならではの,筋の通っていない疑問を何度もぶつけたコトがあるが,そのたびに,こちらが納得するまで,何度でも説明してくれた。

これって,当たり前のコトだと思うけど・・・なかなか,そんな医者はいない。


父が今回,胃ろうを造るために入院したと聞いて,気になって顔を見にきたのだという。今回は主治医ではないから,あまり出過ぎたコトは言えないけど,なんでも困ったコトがあったら,相談に乗らせてもらいます,と言ってくださった。父にも,「入院は退屈でしょう。世間話の相手ぐらいならなれますから,ちょくちょく顔を見にきますからね」と言ってくださった。明日の造設の際も,時間があえば立ち会うつもりです,と。

嬉しかった。


しかし,Mセンセイが去ったあと,造設の話が出てしまったので,しかたなく,「明日にやるみたい」と父に説明する。「もう,早くやってもらったほうがいいよな。いつまでも点滴ばかりじゃ辛いし」と。父は若干,緊張していた。

そういえば,さっきMセンセイに,「(胃ろうの造設は)苦しいんですか?」と聞いていたっけ。ワタシには「怖くない」と言ったが,やっぱり・・・どんな風にされるかわからないって,イヤなものなんだろうなぁ。


8時過ぎに帰宅。


今後のコトについて,10時前まで,3人で話す。弟は疲れているのか,また,キレかける。障害者手帖の申請や,今後の病院のコトなど,ほとんどを弟に任せきりにしてしまっているのは事実だが,それで,弟はなかなかよくやってくれているとは思うが・・・・それとは別のところで,ワタシもいろいろ思うところはあるし・・・・やっぱり,兄弟仲良く,一緒にがんばって,とはうまくいかないものなのだ。


診療情報を提出していた,療養型の病院から返事あり。いちおう,受け入れはしてもらえる方向だ。事務的なコトや具体的な受け入れの時期などについて,一度面談に来て欲しいとのこと。弟が平日に行ってくれるコトになった。


ワタシが先日,見学にいった2つの病院のうちの1つだ。しかし,ここも長くはいられないようだ。公式には,3ヶ月から(長くて)1年,という。。。でも,うんと先のコトはなにも読めないし,ちょっと先を見すえながら,なんとか少しでも良い方向を探していくしかないなぁ。
# by rompop | 2007-08-02 20:44 | ホスピタル

2007・8・1 転院,決まる。

夜はいつもどおりの時間に病院へ。父は寝ていた。昨日ほど元気はなかったが,熱もほとんど無いようだ。ただ,痰がからんでいて,ゼロゼロ言っているのは,変わらず。炎症は治まったのではないのかな。。。

10%の糖分が入った栄養剤の点滴が今日もついていた。しかし,寝たまま,身体を維持するのにギリギリの栄養と水分だ。体力が日に日に落ちていくのでは。。。と心配だ。でも,今は,病院にお任せするしかない。


「昨日,病院へ行って手術の説明受けたんやってなぁ?」「そうそう」「ちゃんとわかった?」「わかったよ。むしろ,やった方がいいらしいね」「・・・・そうやで。栄養がちゃんと取れるんやから」

「手術,怖いか?」「いいや」「何十件もやっているセンセイらしいから,絶対だいじょうぶやで」「そうらしいね」


「・・・それで,穴を開けたあと,塞がらないようにチューブをつけたままにしておくらしいわ。嫌がって引っ張って抜いたりする人がいるらしいけど・・・パパ,そんなコトせえへんよな?ちゃんとわかっていてやるんやから・・・」「しないよ。意識を失ったらどうかわからんけど」「・・・・」

「チューブを抜いてしまったりしたら,腹膜炎とかになって,お腹を切っての大手術になるかもしれないって。イヤかもしれんけど,絶対そんなこと,せんとってな」「・・・うん」


それ以上話を続けようとすると,「ちょっとしんどいから」と言って,目をつぶってしまった。本当に今日はあまり元気がないが,それよりも,ワタシの話をシャットアウトしたいかのようだ。

理屈ではわかっていても。。。。父だって,そうそう簡単には受け入れられない。


7時半頃,「ウンコが出たい」というので,看護助手さんに手伝ってもらって,点滴をぶらさげたまま,車椅子でトイレへ。本人が「トイレまで行く」と希望する限り,どんなに忙しい時間帯でも,それをかなえてくれようとする。ここは,やっぱり「リハビリ病院」だけあって,イイ病院だと思う。

尿がたくさん,出た。ウンコは出なかった。


8時前に,「もう帰ってくれていいよ」と言ってくれたので,帰るコトにした。帰り際の父の笑顔は,とても良いものだったので,少し安心。


帰宅。

隣接する病院への転院が,明日の午後に決まったそう。もうこうなったら,早く済ませて,一分でも早く,父に栄養を入れてやってくれ。


台風が近づいているのが,ちょっと気になる。引っ越しが済むまで,天気が持ちこたえてくれますように。


それにしても,父が倒れたのは,12月9日だが,リハビリ病院へ最初に転院したのが,2月2日。誤嚥性肺炎で逆戻りしたのが,6月2日。リハビリ病院へ復活したのが,7月2日。そして今回,「胃ろう造設」のための転院が,8月2日。


2ばかり続くのが,なんとも摩訶不思議。。。。。今度は9月2日に帰ってくるのかしらん?
# by rompop | 2007-08-02 12:19 | ホスピタル

2007・7・31 ② 外来受診。

心配しながら,病院へ。

父は寝ていた。ふと見ると,氷枕でなく,普通の枕をしている。

看護師さんの話では,午前中は熱も下がり,36度台で,夕方計ったら,37,1℃だったとか。とりあえず下がったんだ,ヨカッタ。

点滴は黄色い液体に変わっている。


父はずいぶんと元気そうだった。途中で「ウンコ」と言い出し,トイレへ行く,というので,車椅子に乗せて点滴台を引っ張って,つれてゆく。夕飯時の忙しい時間帯で看護師さんの目も届かないので,一緒に個室に入り,点滴が止まらないように見張っていた。

オシッコが驚くほど出たが,ウンコは出なかった。


父が「今日,○○(弟)と隣の病院へいった」という。昨日まで高熱があった人を,外来受診させるはずがない,と思い,適当に聞き流していた。レントゲンを撮ったとか,撮らないとか。。。

父は本当に,機嫌もよく,よく笑い,喋った。嬉しかったが,なんだか,ワタシたち家族に心配をかけまいとして,無理に明るくしているのではないかな?とちょっと疑う。


話している時に,「(家では)夕飯はどんなモノがでるの?」と聞かれて,答えにつまった。いいかげん,お腹が空いてきたのかな。。。「八宝菜とか?」と聞かれ,もし「食べたいなぁ」と言われたらどうしよう,と思った。

「魚とか煮物とか,そんなん。そんなに良いモノ食べてないよ」とごまかした。

父は,胃ろうにして元気になったら,また普通に食べられるようになると思っているのだろうか。。。ものすごく辛い。


ワタシをきづかってか,7時半ごろに,「もう帰ってくれていい」と言い出した。「いてもらっても,してもらうコトないから」と。もう少し,いたいな,と思ったが,お言葉に甘えて帰るコトにした。帰りたくても帰れない日が,またあるかもしれない。


帰宅して,連絡帳をみると,やはり弟は父を連れて,外来受診をしていた。隣接する病院の消化器内科で,「胃ろう造設」の説明を受けてきたようだ。


なんて早い展開。。。気持ちがついていかない。でも,父の栄養状態と,先日の誤嚥を考えると,そう悠長にもしていられないのかもしれない。どうせやるなら,早く,と,病院は考えているのだろう。

ドクターは,紙に図を書きながら,説明をしてくれたらしい。簡単な,といっても,いちおうは手術だから,当然,起こりうる合併症や事故などのリスクも話したのだろう。

父があまりにも固い表情をしていたので,弟はドクターに,「命に関わるような手術じゃないと,説明してやってください」と頼んだらしい。


父は,説明を受けて,多分ぜんぶは理解できなかっただろう。緊張しているのだ。今日は,機嫌がよくて元気だったのではなくて,緊張して気持ちが昂ぶっていたのだとわかる。


母も一日凹んでいて,弟に「落ちこんでも仕方ないやろう!しょうがないんやから」と怒られたらしい。

「しょうがない」のはわかっている。でも,それでも「可哀相だ」と気持ちが沈むのは当然だ。ワタシもずっと気持ちが沈んでいる。



もう,仕方がなくて,そうせざるを得ないのだったら,せめて父が安心して自分の状態を受け入れられるように,父の気持ちをしっかりフォローしていこう。それしかないな。
# by rompop | 2007-08-01 17:25 | ホスピタル