<   2004年 05月 ( 4 )   > この月の画像一覧

乳ガン検診。

7時に起床。眠い。

朝食は,鍋に残っていた,厚揚げとインゲンの煮物。味付け海苔でご飯を1膳。玄米茶。

服を着て,軽く化粧をして,自転車に乗り,隣町の病院へ。診察は9時からだが,8時過ぎに受付を済ませる。ずっと気になっていた,乳がん検診に,やっと来れた。前回,この病院に新設された乳腺外来を初めて受診した。京都の大学病院から,火曜日だけ,乳がん専門のドクターが派遣されていて,診察してくれる。ここのところ,父や母のコトが優先で,自分の検診が後回しになっていた。

勢いこんで早めに来たが,老人が大半のこの地域密着型病院では,乳腺外来など受診者が少ないのか,整理券は1番のまま,9時近くまで,患者は来なかった。今度から,もう少しゆっくり来よう。

背後から「お姉ちゃん」と呼ばれて振り返ると,母と弟。母も,退院後,主治医に始めて診察を受ける。弟は付き添い。タクシーでやってきたらしい。家族3人が,同じ病院の待合室のベンチに座っている,の図。

9時20分ごろ呼ばれ,診察を受ける。とりあえず,久しぶりなので,マンモグラフィで画像を撮ってもらう。このマンモグラフィの登場で,乳がんの発見率はかなり上がったらしい。かなり正確に,ごく小さながん細胞も発見できる。

しかし,ワタシにとって,この機械は恐怖としか言いようがない。簡単に言うと,乳房を縦方向,横方向,斜め方向,といろんな角度で,板で挟んで圧縮し,なるべく薄い状態にして,レントゲンを撮るのだ。はっきり言って,痛い。胸が小さいせいか,あるいは,乳腺症のせいか,特に右側の胸などは,声が出ないぐらい痛いのだ。

前回は,女性のレントゲン技師が撮ってくれたが,今日は,若い男性の技師だった。一瞬,「え,マジ?」と思うが,しかたがない。片側ずつ,乳房を板の上に乗せ,位置を固定して,板で挟む。板の上に乗せる時に,技師が乳房をつかんで,ぎゅっと引っ張る。板が下がってくる間,位置がずれないように,乳房を押さえる。見ず知らずの男性に,無遠慮にオッパイを「むんず」と掴まれたり,引っ張られたりする,ものすごい検査だ。

全部で6枚のはずが,最初に撮ったものがちゃんと撮れていなかったらしく,2枚,さらにやり直しをさせられた。「痛いですか?ごめんね,我慢してね」と,いくら言われても,痛くて声も出ない。「い,い,痛いですぅぅ」と言うところで板を止め,技師は隣室に走っていく。「はい,そのまま軽く息を止めてぇぇ」と言われるまでもなく,痛さのあまり,ワタシの息は止まっている。ガシャンと音がして,板がゆるむと,「いってぇぇぇ」と,胸を押さえて,思わずめまいがしそうだ。

「みんな,こんなに痛いものなんですか?」と,弱々しく聞くと,「お年よりは,脂肪が柔らかくなっているから,あまり痛がらないですね。若い人は,まだ脂肪が固いから,痛いようです」とのコト。撮り終えた時は,息をつめて耐えていたので,クラクラした。

しばらく待合室のベンチでぐったりとしていると,再び,診察室に呼ばれる。画像を見た後,ドクターの触診。さすがに乳がん専門医の触診だ。手つきが,全然違う。しかし,ぐいぐい押されると痛い。

たまに,右胸が痛むが,やはり乳腺症とのコトで,乳がんの気配はない。少し安心。ワタシは,胸の大きさの割に,乳腺が多い,というか,発達しているそうだ。これは,個人差があり,ドクターいわく「アンパンのアンが多いか,少ないか,のようなもの」だそう。一生,胸が痛い,などと思わずに済む人もいれば,80才の老女になっても,乳腺が敏感に張り,痛さを訴える人もいる,と言う。痛む時は,ホルモン関係を調整する,飲み薬を飲むぐらいしかないらしい。

1年に1度,心配なら半年に1度,マンモグラフィを撮っておけば,何かあっても早期発見で対処できるという。しかし,あの強烈は痛さを,半年に1度か。萎える。

念のため,痛み止めの薬を2週間分もらっておくコトにして,診察は終り。このドクターは,乳がんの権威で,実力はあるのだろうが,どうも苦手だ。いつまでも質問を繰り出していると,すぐにイライラしだして,横を向いてため息をつく。気が短いようだ。ナースも,ビクビクして,すぐ怒られている。

薬局へ薬をもらいに行くと,母と弟がいた。先に薬をもらい,タクシーで帰っていった。
ワタシは,薬をもらったあと,自転車でゆっくりと帰る。ふと思い出して,駅前にある,介護センターへ寄り,介護サービスのパンフレットをもらう。

11時ごろ,帰宅。疲れた。しかし,今日のメインは,午後にある,父の診察だ。

隣町にある,大学病院。父の診察の予約は1時半。しかし,もう父は服を着替え,準備万端,椅子にじっと座って,緊張していた。「まだ1時間もあるよ,リラックスしたら」と言っても,心此処にあらず。

12時前,あまりにも父が緊張しているので,かなり早いが,家を出るコトにする。早めに病院に着いたほうが,父も落ち着くのだろう。

12時半過ぎに病院に着く。ああ,あと,1時間近くあるじゃないか。

ところが,何というコトか,完全予約制であるはずの,診察時間がずれにずれて,最終的に2時間以上遅くなった。ワタシと父がぐったりと待ち疲れ,朦朧としてきた3時半過ぎ,やっと名前を呼ばれて,診察室へ。待合室のベンチで,ワタシたちは,3時間,座り続けていたコトになる。途中でワタシは,1時間ぐらい,居眠りをしたと思う。目を覚まし,「これから大事な治療の話をするのに,頭をクリアにしなければ」と思って,持参した庄野潤三の『せきれい』を,一心不乱に読んだ。

今日は,初めてお目にかかる,放射線科のドクターの診察。父の放射線治療を,直接担当してくださる,前立腺ガンの放射線治療の権威だそうだ。優しいドクターでありますように,と心配していたが,筒井康隆にそっくりの,年輩の渋くて温和なドクターだった。患者が不安なく治療を受けられるよう,最初の治療の説明には,40~50分,たっぷり時間をかけるそう。パソコンのモニターに,治療の映像を用意してあって,それを見せながら,わかりやすく説明してくださる。こちらのどんな質問にも,嫌な顔せず,こちらの目を見て,きちんと答える。当たり前のコトではあるが,その当たり前のコトをしてくれないドクターの,なんと多いコトか。

放射線治療は,全部で6週間。通院で体力を消耗させるコトを懸念していたので,入院を希望していたが,あっさりと「いいですよ」と了承してくれた。良かった。父の持病である心臓への影響を不安に思っているコトを伝えると,念のため,事前に心電図とレントゲンを撮り,内科の医師の意見を求める段取りをつけてくれた。こちらの不安が,手際良く,1つ1つ解決されてゆく。「このドクターになら,任せられる」と,感じる。

ただ1つ,内照射治療をする,最後の2日間,この日だけは「エライと思いますが」とのコト。エライとは,関西弁で「きつい」「つらい」というような意味だ。患部に大きな針を10数本,外側から刺したまま,一昼夜,身動きが取れない。もちろん下半身に麻酔はかかっているが,おそらく眠れないでしょう,とのコト。医者が「きつい」という治療は,かなりの辛さを覚悟しなければならない。しかし,こればかりは,父に頑張ってもらうしか,ない。痛い思いや,つらい思いは,させたくないが,何と言っても,ガン細胞を叩く治療なのだ。

この診察のあと,泌尿器科の主治医の診察を受けるはずだったが,2時間近く診察が遅れたため,タイムアウト。「今日しか,ワタシが付き添って話を聞くことができないのです」と,顔なじみのナースに泣きついて頼んだが,外来の診察時刻は終わってしまった。明日,父ひとりで,診察を受けてもらうしかない。

全てが終わったのが,4時半すぎ。家に電話を入れる。夕食のおかずを買わなくてはならない。父を駅の階段に座らせておいて,ワタシは,商店街へ走り,ロースカツを1枚,買って,走って戻る。それから,駅の下にあるスーパーで,明太子,中華風きくらげ,安くて美味しい「かき揚げ」を5枚買う。ふぅ。

5時半,帰宅。

父は,入院できることになったので,ホッとしたのか,鼻歌を歌っている。治療自体の辛さには,あまり考えが及んでいないようだ。それなら,その方が良い。

ワタシと父は,待っている間,病院の売店で買った,「カロリーメイト」を飲んだきりだ。疲れて,お腹も空いた。早目の夕食。

かき揚げを,母が甘辛く煮つけて,天丼を作った。美味しい。弟が作った,じゃがいもの味噌汁。ゴーヤとツナのマヨネーズ和え。中華風きくらげは,ぴりりと辛くて,美味しい。400円のパックで,たくさんの量があり,お買い得だった。父もワタシも,丼に山盛りのご飯を食べて,しばらく動けなかった。

食後,今日の診察で言われたこと,今後の治療予定を,入力して,大きめの字でプリントアウトし,父に渡す。明日,主治医に忘れずに聞くことも,太字で書いておいた。これを見れば,頭が混乱しても,1人でもちゃんと話ができるだろう。明日も事務所を休むのは,申し訳ないが,もう,不可能だ。

病院のはしごで,ずっしりとした,疲労感。それでも,父の治療は,少しずつ具体的に決まってゆく。
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by rompop | 2004-05-25 13:31 | ホスピタル

受診。

7時半に目覚ましが鳴る。布団の上で七転八倒していたら,部屋のドアが遠慮がちにノックされ,もうすでに服を着た父が,「早く起きたから,もう服を着た」と言う。「え,ちょっと待って」とあわてて飛び起きる。家を出るのは9時でいい,と昨夜言ったくせに。

朝食。父と向かいあわせで,ご飯と,味噌汁(の残り),わさび漬け,梅干,などで簡単に済ませる。服を着替え,バッグに財布などを入れる。雨が降り出しそうだが,まだ降ってはいない。しかし,今日の午後からは本格的に降るはずだ。折り畳み傘をバッグに。

タクシーを呼ぶ。料金の一番安い,三菱タクシー。8時半ごろ,タクシーがやってきた。にこやかに会釈をしているのは,若い女性の運転手。これ以上作れない,というぐらいの,にこやかな営業スマイル。なかなかカンジがいい。

9時前,病院に着く。タクシーの料金は1500円ほど。父が自分の財布から支払う。

大阪医科大学付属病院。ワタシ自身も,この病院には何度も通ったコトがある。それでも,久しぶりにやってきたので,受付前でごった返している人の群れに,少し慌てる。診察券を,受付前に設置されている機械に差し込む。父は,いつもやっているコトなのに,どのランプを押せばいいのか,迷う。こんなコトで大丈夫かと,急激に不安になる。

泌尿器科は,1階の隅にある。やはり,高齢の男性ばかりが待ち合いのベンチに座っている。受付には,忙しいのか,ツンケンしたカンジの女性がいて,少しまごつくと,すごく冷たくゾンザイな応対をされた。まったく,ムカつく。さっきのタクシー運転手の爪の垢でも煎じて飲ませたい。

父は,診察室に入るまで,治療経過や検査結果を書きつけた手帳を,ずっと見ている。頭の中で言うコトを整理しているのか。9時を過ぎたので,ワタシは事務所に電話をした。早出当番の新人Hが出た。「急で申し訳ないんだけど,休ませてもらいます。ちょっと体調が悪いの。病院へきている」と言う。嘘をつくこともないが,事情を説明するのも面倒だし,「家の用事で」と言って,皆に詮索されるのも嫌だ。

長時間待たされるコトを覚悟していたが,思ったよりもずっと早く,診察室に呼ばれた。父がかかっているのは,一般の泌尿器外来ではなく,「腫瘍」専門のドクターなので,患者が少ないのだろう。

予想に反して,父の主治医は,かなり若いドクターだった。不安だったが,フランクな雰囲気で話しやすく,話もよく聞いてくれる。それでも,やはり患者をさばくのに,あまり時間をかけられないのか,ある程度の話が済むと,放射線科専門医の予約を取るように,カルテを回そうとする。聞きたいコトの7割ぐらいしか,聞くことができなかった。

1度,外の待ち合い室で待たされ,もう少し具体的な説明をするため,別のドクターの診察室に呼ばれる。ホップ・ステップ・ジャンプで言えば,「ステップ」だな,と思いつつ,父と一緒に丸椅子に座る。

断面図の模型を使いながら,どのように治療をしてゆくのか,わかりやすく説明をしてもらう。従来の放射線治療は,外照射といい,体の外から患部に放射線をあてる。広範囲にわたって放射線があたってしまうため,ほかの臓器への副作用も生じる。父が受けるものは,「前立腺内照射」といい,睾丸と肛門のちょうど間あたりの位置から,電磁波を受けるための針のようなものを,何本か前立腺に到達するように刺しこむ。針を刺したままで,その針に放射線をあてる。放射線は,ほかの臓器にあたることなく,前立腺だけに到達する。

麻酔は,下半身麻酔。放射のあいだ,ずっと麻酔をかけ続けているので,痛みはそうないはずだ。しかし,針を刺したあと,数度の放射の間,同じ姿勢を,24時間以上保ち続けなければならない。考えただけで,かなり辛そうだ。実質の放射は2日間だが,前後を含めて7日間の入院だ。

そして,リンパへの転移の予防の意味も含めて,入院の前に,10日間の外照射を行うとのコト。これは,父もワタシも初耳で,少々取り乱した。これは外来で,10日間,毎日治療に通う,とのコト。といっても,ごく微量の放射線なので,副作用としては,下痢を起こすことがある位だという。

来週の火曜日,放射線科のドクターの診察を受け,最終的にさらに詳しい説明を受け,入院日を決めるコトとなった。と言っても,放射線治療はとても混みあっているらしく,今から予定を入れても,7月か,あるいは8月になるようだ。その場合,それまでの間に,ホルモン療法を併用するかどうか,これも合わせて決めるコトとなる。ホルモン治療は,実は,心筋梗塞などの発症に影響があるそうで,狭心症のある父には,少し不安材料となる。そのコトも,きちんと確認せねばならない。

困ったな,と思った。来週の診察も,かなり重要なモノのようだ。母はまだ付き添いは無理だろうし,父ひとりでは,絶対に無理だ。今日,父と一緒に病院にきて,よくわかった。父の理解能力や判断能力は,著しく低下している。今後の診察の流れを説明されたが,父はほとんど理解できなかった。少々ややこしくて,ワタシも2度同じコトを聞き直したぐらいだが。とりあえず,ワタシは理解した。そして,父に「わかった?」と聞くと,「うん,いや,わからない」と,途方に暮れたような顔をして,口をぷうっと尖らせた。

来週,また休みを取るのは,とても気がひける。うちの職場の場合,自分の案件さえ処理しておけば,休みを取るのは不可能ではないが,はっきり言って,言い出しにくい。どうしよう。

2階で採血をして,今日の診察は終り。採血は,PSA値を取り直すため。PSA値とは,うまく言えないが,つまりは,ガンがどの程度のものかを表す,数値のようなもの。

尿の出を良くする飲み薬を処方され,薬局で薬を受け取り,すべてが終了したのは,12時前だった。「思ったより,早く終わったね」と言い合い,ホッとする。とりあえず,治療に向けての最初の段階はクリアした。これからも,1つずつ,クリアしていくしかない。

母の退院が決まったかどうか,家に電話を入れる。誰も出ない。弟はすでに病院へ行ったらしい。このままタクシーでM病院まで行くかどうか,父と相談する。父は行きたそうにしたが,父の疲れも気になる。自覚症状があまり無くても,父は病人なのだということを,あらためて実感したせいだろうか。

「とりあえず,なんか食べよう」と提案し,父の希望で,病院の1階にあるレストランに入る。「あまりお腹減ってない」と言いつつも,父は「とんかつセット」を注文し,ビックリしたワタシは,ついつられて「ハンバーグセット」を注文。どちらも650円。なかなか美味しかったし,量も立派だった。考えてみれば,父と向かい合って外で食事をするなど,初めてのコトではないだろうか。

雨が降り出した。弟から連絡を待つために,とりあえずタクシーで自宅へ戻る。帰りは,1800円近くかかる。今後,10日間の放射線治療に通うたびに,タクシーを使ったのでは,まったく交通費が馬鹿にならない。しかし,父の体力を考えるとしかたがないだろう。痛みはなくとも,下痢などが続けば,体力は著しく低下するに違いない。不安だ。

帰宅するなり,病院の弟から電話。母の退院は今日になった。午後から眼科で緑内障の診察を受け,その後で帰る,とのコト。雨も降っているし,少々疲れたので,弟に任せるコトに。

「3時か4時ごろになる」という弟の言葉を父に伝えたはずなのに,父は2時過ぎぐらいから,ソワソワとし初め,窓を開けては「ママ,遅いなぁ」と何度も繰り返す。次第にワタシも,イライラして疲れてきた。「ゆっくり帰ってくるのだから,待っていれば」と言い,2階で久しぶりにネットをしていた。3時半ごろ階下へ降りると,父が病院に電話をしている。「え?まだ,そちらにいるのですか?」と,不服そうな声を出して。母が不在の不安のあまり,父は,まるで幼児退行を起こしているようだ。

その後,「病院へ行ったほうがいいんだろうか」と言い出し,弱った。弟1人では,大変なのではないだろうか,母の今後について,ドクターの話を一緒に聞いたほうがいいのではないだろうか,と。「行かなくても大丈夫だから,家で待っていたほうがいい」と言うと,不満げな顔をしている。その顔を見て,イライラする。

父が病院へ電話をしたものだから,弟から折り返し電話がかかってきた。何事かと思ったのだろう。あっさりと「来なくていい」と言われたようで,父は不満げに受話器を置いた。京都の叔母と叔父が,車で見舞いに来ているので,帰りは家まで乗せてくれるという。やはり,ワタシたちが行かなくてよかった。行ったら,車1台には乗れなかっただろう。

5時ごろ,母が帰って来た。ふらつきは治まったというが,眼科の診察で瞳孔を開いたため,少し疲れたようだ。すぐに布団を敷いて寝かせる。叔父と叔母は,「また来るから」と,早々に引き揚げた。

家に帰り,ホッとしたのか,母は少し喋りすぎた。しばらくして,「頭が疲れる」といい,布団で少し眠った。やはり,まだ本調子ではないらしい。父は嬉しくて,母の傍にずっといて,あれこれと話しかけていたので,母もつられて喋り,疲れたのだ。

夕食は,いつもの弁当屋で,ワタシは天丼。父と弟は日替わり弁当。小松菜と揚げの煮びたしを急いで作った。母は「あまり食欲が出ない」と,おにぎりを1つと,煮びたし,あとは卵焼きなど。

8時。「電気がまぶしい」と母が言うので,居間の電気は早々に消された。まだ早いが,父も母も布団にもぐりこみ,ワタシは自室に引き揚げる。ワタシも早く眠ろうか。
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by rompop | 2004-05-19 13:26 | ホスピタル

当たりはずれ。

昨夜は,なかなか寝つけなかった。

朝,起きてスーパーへ行っておかなければ,と思いつつも,起きられず,ダラダラとしていた。9時半に部屋のドアがノックされ,起こされる。弟の話によると,母から,朝,持ってきて欲しいものがある,と電話があったらしい。父はもう,朝食と着替えを済ませ,母に頼まれたティッシュや箸,ポットなどを袋に詰め,用意万端,ワタシを待っているらしい。

「えぇ,ちょっと待って」とあわてて飛び起きる。ワタシは,昼前ぐらいに,ゆっくり病院に着けばイイかと思っていたのだ。

父を待たせて,わさび漬けでご飯を食べ,お茶を飲もうとすると,電気ポットのコードが抜けていた。しかたなく,水を1杯。

お腹が少し痛くなり,「もうちょっと待って」と,トイレへ。

タクシーに電話をするが,15分ほどかかるという。雨の日は,タクシーもなかなか来ない。なのに父は,電話を切ったあとに,「15分も待つなんて。ママが待っているのに。他のタクシー会社へ聞いたみたら」などと言う。自分は何もせずに,文句を言うとは。朝からバタバタしていたので,キレそうになる。

タクシーに乗って,病院へ。母は,寝巻きに着替え,待っていた。薬のおかげで,めまいは少し治まったが,夜中にナースに頼んでも,トイレへ付き添ってもらえず,ベッドの上でさせられたらしい。それも,すごくゾンザイに扱われたらしく,少し元気がない。昨夜,帰りにナース2人によく頼んで帰ったのだが,その後,夜勤の交代で,全然違うナースに代わったそう。ナースにも当たりハズレがあるから,こればかりはしようがない。

11時前に病院につき,しばらくパイプ椅子を2つ並べて,ベッド脇に座っていた。12時に昼食。薄味の,美味しくなさそうな食事が並べられた。それでも,母は全部食べていた。梅干を5個,パックに入れて持っていき喜ばれる。便秘予防のビフィールも持っていった。

父は,ワタシの持っていたカロリーメイトの缶と,源氏パイをむしゃむしゃ食べた。母は,TVも雑誌も見ずに,ただ,ベッドに横になっている。

2時前,ワタシは,病院の近くのラーメン屋に入り,ラーメンとチャーハンの定食(700円)を食べる。やっと,人心地つく。病院というところは,いるだけで,なんだか疲れる。年寄りばかりの4人部屋が続く廊下には,アルコール消毒液の匂いにまじって,かすかに糞尿の匂いがする。動けない患者は,ベッドの上で,大も小もするのだろうから,匂いがあって,当たり前だ。しかし,外部からやってきた人間には,ものすごく異和感がある。この匂いの中で,寝たり起きたりし,3食の病院食を食べる。鼻が馬鹿になり,なにもカンジなくなるのだろうか。ワタシはやはり,どう逆立ちしても,ナースにはなれない,とあらためて思う。

その足で,近くにある大きなスーパーに買い出しに行く。晩御飯のおかずや,バナナ,そばや梅干など。たくさん買い,唸りながら,重い袋を2つぶらさげて,傘を斜めにさして帰る。これが少しの間だけだと思うから我慢できるが,果てしなく続く日々がきたら,どうしよう。病院と買いだしと仕事だけのグルグル回る日々。

4時前,病室に戻る。母は同じ姿勢で寝ているし,父も同じ姿勢でパイプ椅子に座っている。母に,買ってきたお茶とヤクルトを1本渡し,しばらくして,帰るコトにする。父のコトをあまり考えなかったが,かなり疲れた顔をしている。父だって病人なのだ。

玄関で無線タクシーを呼んで,ベンチに腰掛けて父と2人で黙ってタクシーを待っていた。その時,寝巻き姿の母が,ソロソロと,3階の病室から玄関までやってきた。「どうしたん!」と飛び上がるくらいビックリしたが,「明日,来るときに便秘薬を持ってきて」とのコト。驚いた。タクシーが来た。母を途中まで送っていき,走って戻ってきて,タクシーに乗る。

料金の安いタクシー会社だが,運転手にもやはり当たりハズレがある。思いきり無愛想で,雨だというのに,ものすごく荒い運転をする。自分の職業にもっとホコリを持て,と言いたくなるような,プロ意識の低さ。しかし,呼び出されて,ワンメーターちょっとの距離では,愛想もふれないか。

帰宅。父も疲れただろうが,ワタシもクタクタだ。

父が「ウナギが食べたい」というので,スーパーでウナギを買ってきたのに,帰宅するなり,父が「あ!」と言う。明日は朝から検査のために,朝食抜きで採血をすることになっている。だから前の晩に,あまり脂っこいモノを食べるのはやめておく,と言う。父は,こういうところ,とても気真面目というか,神経質なのだ。

ワタシはウナギがあまり好きではないから,半分は弟が食べ,半分は明日の父の夕飯に残しておくことにしよう。代わりに,父のリクエストで「とろろソバ」を作る。トッピングに海苔をパラパラとふる。買ってきた,モズク酢と,ほうれん草の胡麻和え。わかめと揚げの味噌汁は,弟が作った(らしき)ものを。

ワタシは,白ネギと牛肉の切り落としを炒めて,醤油で味をつけたモノを作った。ゴーヤとツナのマヨネーズ和えの残りも食べる。モズク酢とほうれん草。味噌汁。

簡単で,意外とゴージャスな夕飯になった。

食後,母から電話。「診察券を忘れずに明日,持ってきて」とのこと。明日もっていくものを,弟に託す。

父は,ことあるごとに「ママ,ご飯食べたかなぁ」とか「ママ,今夜は淋しいやろうなぁ」ばかり言っている。やはり夫婦だな。それとも,年を取ると,同じ病院の雰囲気を見ても,感じ方が違うのだろうか。それでも,食後に自転車に乗って,またあの病院へ行く気力は,ワタシには残っていない。たかが駅ひとつ分の距離ではあるのだけれど。遠い。

友人Mからメール。彼女の母は,白内障の手術をすることになったらしい。少しずつ,こういう現実に慣れていくしかない。人間は,誰だって,年をとれば少しずつあちこち,痛んでいくものだから。それが自然の摂理だから。そのコトについて,必要以上に感傷的になるのは,よそう。
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by rompop | 2004-05-16 13:23 | ホスピタル

救急車。

8時ごろ,目が覚めてトイレへ。階下で,弟と母の声がする。弟が怒っているようだ。「なんでそんなコトするの」という声が聞こえる。朝の風呂掃除と洗濯は,最近はずっと弟がしているが,母はいつも気がねしている。今日も,また,少しでも手伝おうと手を出したようだ。

また布団に入り,10時半に起きて,階下へ。母の様子が変だ。「めまいがする」と言って,布団にもぐりこんでいる。父が心配そうに母を見守っている。少し様子を見ていたが,「大丈夫」と言って立ち上がろうとした母は,ストンと転びそうになる。あわてて支えるが,気分も悪いらしい。寝ていて治まるような状態ではなさそうだ。

病院へ連れて行こう。しかし,思いのほかフラフラしていて,まったく力が入らないようだ。「救急車を呼ぼうか」と母に声をかける。タクシーで病院に行っても,外来で順番待ちをしなくてはならない。救急車なら,緊急ですぐに見てもらえるだろう。いつもなら,「ご近所にカッコ悪いから,絶対に救急車はダメ」という母が「救急車を呼んで」と言う。

2階にあがり,弟の部屋をノックして,「救急車,呼ぶ」という。弟の頬にさっと赤味がさし,すごい勢いで階下へ降りてゆく。ワタシは急いで,ジーンズをはき,トレーナーをかぶる。バッグに財布とタオルだけを入れる。土曜の朝。ご近所中の好奇の目にさらされるが,いたしかたない。救急車を呼ぶのは初めてで,指先が少し震える。

いつも母が通院しているM病院は,救急指定病院でもある。症状を伝え,既往症と通院していることを告げる。救急車の要請をしたことを病院に電話で伝えてください,と言われ,病院に今から行く事を告げる。

ほどなく,遠くからサイレンが聞こえ,救急車がやってきた。弟が外へ出て,車の誘導をする。玄関が開け放たれ,救命士が3人,部屋に入ってきた。さすがに早い。母を囲んで,脈を取り,血圧を測り,母に質問をし,青いビニール製の担架に移す。「背中を圧迫骨折しているから,注意してください」と,あわてて言う。

弟と2人,救急車に同乗する。不安そうな顔の父には,「電話するから待ってて」と言い聞かせる。

ワタシは,3回,救急車で運ばれたことがある。しかし,母は,こんなものに乗るのは初めてだ。緊張感と不安で,かえって血圧が上がるかもしれない。少し赤い顔をしている。顔をしかめている。気分が悪いようだ。ことのほか,救急車というものは,ガタガタと揺れる。スピードを優先するせいだろう。手を触ると,少し冷たくなっている。これで母にもし意識がなければ,ワタシはパニックを起こしているコトだろう。

数分で,病院に着いた。救患用の入り口から,ストレッチャーで運ばれる。待機していたナースの1人が,直前までお喋りをしていたようで,少し笑い声を立てていた。思わず,睨むと,彼女はハッとした顔をして,口を閉じた。病院といえども,彼女たちにとっては日常の場だから,笑いも出るだろう。しかし,通院していると,こういう無神経なナースが意外と多く,驚く。

集中治療室のようなところに運ばれ,ベッドに移されたあと,水分補給の点滴。母は糖尿のせいか,すぐに喉が乾く。朝,水を飲んだはずなのに,もうすでに口も喉もからからだ。「水を飲ませてやってほしい」というと,「今すぐ点滴を入れるので,大丈夫」と言われる。軽く脱水症状を起こしていたようだ。

救命士がメモにとった母の血圧や脈拍などを,ドクターに告げる。ワタシは迷った。弟と口論のあと具合が悪くなったコトを,救命士に言いそびれていた。弟の顔を見る。「言い合いのあと,具合が悪くなったんだよね」弟は,神妙な顔をして,うなづく。「それ,ちゃんと言ったほうが良くないか?」弟は,「言ったほうがいいと思う」と言い,じっと黙っている。思わず,「自分でちゃんと言って!ワタシは状況がわからないんやから」

弟は,ドクターに近づき,意を決したように白状した。「朝,僕とちょっと口論になり,そのあと,めまいが起こったんです」

救命士は,ちょっと驚いた顔をして,まじまじとワタシたち2人の顔を見た。ドクターは弟を見据え,「わかりました」と言った。

「検査をしてみないとわかりませんが」。母に手を握らせたり,視神経を確かめるために母の顔の前で手を動かしたり,あれこれ母に質問したあと,椅子に腰掛けてワタシたちを見た。

「高血圧ではありますが,めまいが起こって歩けなくなるほどの血圧ではない。難聴性のめまいというものがありますが,耳はちゃんと聞こえておられる。メニエール病のめまいというのは,左右に回転するのではなく,上下に“でんぐり返し”を起こすように,目が回ります。話を聞いていると,これでもない。一番怖いのは,脳に腫瘍や血の塊があっておこるものですが,こういうめまいは,1度起こると治まりません。手がつけられないぐらいまで,一気に悪化します。ですから,みたところ,めまいの中で一番多い,“頭位性(とういせい)めまい”ではないか,と思います。くわしくは,これから検査をしてみますが」

頭部のCTスキャン,心電図,胸部レントゲンと,ひととおり検査をしてもらう。点滴には,めまいを押さえる薬が混入され,注射を打たれた。注射を打つ前に「めまいを押さえるための注射をします。よろしいですか」と,確認される。しかし,こういう時「やめて下さい」といえる人がいるだろうか。ただ,「お願いします」と言う。

検査の間,待合室のベンチで弟と2人,所在なげに待つ。

さっきから黙っているが,弟はどう思っているのか。「年寄りに精神的に負荷をかけるようなコトをしてくれるな」と,あれこれ言葉を変えて,繰り返し話す。弟も,さすがに今日はこたえたようで,「救急車まで呼んでしまったのだから,これからは,言いたいことがあっても,全部胸に納めるようにする」だそうだ。こんなコトになっても,結局「自分が悪いのだ」という風には,ならないらしい。

「産まなければ良かった」と,いつだかに,口論の最中に母に言われたコトを,いまだにずっと恨んでいるようだ。「あれだけは,言ってはならないこと。存在を否定されたも同じだ」と,ワタシに訴える。実の母親にそう思われる自分というもののコトを,省(かえり)みる気持ちが必要ではないかの,と思うが,それは言わないでおく。頬を高潮させて,下を向いて黙っている弟の横顔を見ると,言えなかった。

ワタシも弟も,朝から何も口にしていない。少しフラフラする。自販機で乳酸飲料を飲む。

検査は1時間ぐらいで終わった。結果,それらしき原因は見当たらない。今日のドクターの見立ては,やはり,めまいの中で最も多く,原因も予防法も確率されていない,良性の「頭位性めまい」だとのコト。これは,たいてい,3日~1週間ほどで治まるが,半年以上おいて,繰り返し起こるらしい。そのつど,こうして点滴や飲み薬で押さえるしかない,という。

なんとも気持ちの悪い診断だ。原因ではないが,疲れやストレスが引き金となるケースもあるという。しかし,もしかしたら,このドクターの見立ては外れているかもしれない。母は耳の方も悪く,耳鼻科に通っていたコトがある。体中のあちこちが悪い。何が原因か,わかりにくいだろう。

点滴で水分を補給しているせいか,母はベッドに寝ている間に,2回,尿意を催した。ナースに聞くと「動かないほうがいい」とのことで,ベッドの上で採ってもらった。母は,すぐに尿が出ずに,しかめ面をしている。「情けないなぁ」とつぶやいた。「点滴してるからしかたないやんか」としかイイようがなかった。

2時を過ぎた。自販機で菓子パンを売っている。120円。ガラガラの待合室で,ナッツのついたパンを買い,むしゃむしゃと食べた。少し落ち着いた。弟にも「食べてくれば」と120円を渡す。弟は病室から黙って出ていった。ついでに,近くのスーパーで,食料品を適当に買ってきてもらう。卵,オレンジ,牛肉など,2袋さげて戻ってきた。

点滴が終りかけ,「心配だから一晩泊らせて欲しい」と言ったが,ドクターは母の様子を見て,「命に関わるめまいではないと思います。それに,入院となると,一晩だけ,というわけにはいきません。」と言う。「家で安静にしていて,おかしいようなら,いつでも,救急車でもいいですから来てください」と。母も「やっぱり家に帰る」と言うので,帰るコトにする。会計を済ませ,処方された安定剤をもらい,タクシーを呼ぶ。

4時前になっていた。母を布団に寝かせる。点滴が効いたのか,少し楽になったようだ。プリンを食べさせ,薬を飲ませる。

しかし,寝ていると大丈夫だが,トイレに立つたびに,ぐるぐるとめまいがし,フラフラとしている。とても1人では歩けそうにない。頭もフラフラするので,気分が悪くなる。

夕食は,父に電話をして頼んでもらった弁当。ワタシは牛丼を頼んでもらった。なかなか美味しい。弟が,もやしとワカメの味噌汁を作り,母のために卵焼きを焼いた。ワタシは,トマトを湯むきして切り,ゴーヤとツナのマヨネーズ和えを作った。

母は,食欲がない。ご飯を半膳,味噌汁を少し,卵焼きとたくわんで,なんとか食べ終えたが,やはり気分が悪いという。

「今夜は下で寝る」と,布団を持って降りて,母の隣で寝るつもりだった。夜中にトイレへ行く時に,父が支えたのでは頼りない。2人で転ばれたら,大変だ。

ネットを少しやり,8時過ぎ,母の様子を見に階下へ。「やはり入院させてもらえば良かった」と言い出した。気分がますます悪くなるようだった。いつもとやはり,少し違うカンジがする,と言う。「やっぱり病院へ行こうか」というと,そうしたい,と言う。一晩でも病院に置いてもらえれば,容態が変わっても安心だ。

病院に電話をする。「とにかく診察します」とのコト。入院を前提に,母が以前から用意していたボストンバッグを持って,タクシーに乗り,病院へ向かう。急な入院に備えて,新しいパジャマや下着,靴下などを,母は自分でバッグに詰めて用意していた。

夜の病院は,真っ暗で,シンとしている。診察室へ入ると,見たコトもない,若い当直医がいた。ふと「大丈夫かな」と思う。その気持ちが伝わったのか,その若い医者は,あれこれ横から口を挟むワタシを,「診察しますから」と言って,外へ追い出した。「入院させてくれ」って,母はちゃんと言えるかな,と心配になって,診察室のドアに耳をつけて,中の様子を伺う。

また心電図を取り,朝と同じ点滴を1本。中には,めまいを抑える薬を混ぜているらしい。あとで聞くと,点滴をしている間,その医者は,母の今までの分厚いカルテを全部読み,薬や症状について,あれこれ質問したそうだ。

ナースが出てきて,「3階の4人部屋に入ってもらいますね」と言う。「入れていただけるんですね」ホッとする。点滴のつながった母を車椅子に乗せ,3階へ。

4人部屋には,お婆さんが1人しか入っていなかった。窓際のベッドに母は入れられた。大部屋と違って,すっきりと広い部屋だ。高いのかな,とふと思う。さきほど受付の貼り紙を見ていたら,「個室と4人部屋は差額室料をいただきます」と書かれてあった。しかし,金のコトは,この際,しかたがない。

9時を過ぎていた。完全看護の病院なので,ワタシは付き添うコトはできない。ペットボトルのお茶を枕元に置き,1階へ行き,ロビーの自販機で,薬を飲むためのミネラルウォーターのボトルを買う。夜中にお腹が空いてはいけない,と思い,栗のアンぱんも1個,買う。母は空腹で低血糖を起こすと,具合が悪くなる。

点滴のせいか,母は落ち着いてきた。トイレへ行きたい,というので,連れてゆく。トイレからずいぶん離れた部屋だが,しかたがない。消灯時間を過ぎているので,あちこちの部屋から,寝息やいびきが聞こえる。

眠気がきたのか,母はウトウトしはじめた。母のトイレのコトだけが心配だが,2人のナースに「転ぶと困るので,トイレへ付き添って欲しい」と頼み,母には,「絶対に1人で歩かないように,ナースコールを押すように」と言い聞かせて,病室をあとにする。

外は強い雨が降っていた。無線でタクシーを呼ぶ。急な雨のせいか,時間のせいか,タクシーはなかなかやってこなかった。地面にしゃがみこんで,雨を見ながらタクシーを待つ。

帰宅。母が落ち着いたコトを告げると,父は少し安心したようだった。弟は「おかえり」と言ったが,複雑な顔をしていた。

母はもう寝たかな。ワタシも疲れた。気持ちがやりきれなくて,友人Mに携帯メールをした。彼女も劇団時代,母親が脳梗塞で倒れ,かなり危ない目にあった。父親も喉頭がんの手術を経験している。母親が倒れると,とたんに家庭の地盤がゆるむ。そのコトを,彼女はよくわかってくれるはずだから。
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by rompop | 2004-05-15 13:22 | ホスピタル