カテゴリ:ホスピタル( 223 )

2007・9・9 ママは,全然,別。

良い天気の日曜日。


洗濯をし,布団をベランダに干した。急に,部屋をすっきりさせよう!と思い,古いビデオテープや聴かないままのCDを,ゴミ袋いっぱい,捨てる。あぁ,ちょっとスッキリしたぞ。雑誌と,読み終えた文庫本を,3束,廃品回収の場所へ運ぶ。ワタシの部屋は,何が多いって,雑誌と本が多いんだよね。鬱々すると,すぐに本屋で本を買ってしまうから。まぁ,安く済んでイイけど。


3時半に病院へ。


今日の父は,なぜか,すっきりと笑顔だった。買っていった朝刊を,「読む読む」と,奪い取るように読み,テレビ欄を熟読していたと思ったら,「『吟詠』が見たい」という。NHKでやっている番組。綺麗な風景の映像に,えんえん,詩吟が重なる番組だ。渋いなぁ。。。

そのあとも,飽きるコトなくテレビを見続けて,なんと今日は,2時間近くも,ぱっちりと目を開けてテレビ鑑賞。


母が見舞いに行ってやると,必ず父は,数日間は落ち着くんだよなぁ。。。これは,絶対そう。「ママ効果」は絶大だ。


そうしている間に,夕食の時間が近づいてきた。今日はなぜかカーテンが開いたままなので(多分,今日はあまり気のつかない看護師さんなのだ),こちらから締め切ってしまうのも気がひけて,さてどうしよう?と,隣が見えないよう,苦心してテレビ台をじわじわと移動させた。ちょうど,寝ている父の目隠しの位置にテレビが来るように。

そんなワタシを見て,父が笑った。「・・・見透かされている?」と思う。父はもしかしたら,ワタシたちが思っている以上に,いろんなコトがわかるのかもしれないなぁ,と。


父は荒れるコトもなく,穏やかに,隣の匂いと音をやり過ごし,自分の栄養も,おとなしく受け,ゆったりとして見えた。


「。。。昨日は何時頃家についたの」と,やたら昨日のコトを気にする。「また,ママ,車に乗って来てくれるかなぁ」と言う。

「また連れてくるよ。でも,ワタシも○○(弟)も,毎日来てるのにやっぱりママがええか?」と冗談めかして聞くと,「そりゃ,ママは全然別だから」と,真面目に答えられてしまった。そうっか。。。。全然,別なんだ。だろうな。まぁ,たまにしか顔を見せないから,余計にありがたみが増すのも事実だろうけどね。


7時半ごろ,「また明日」と,握手をして,病室を出る。今日の父は,「食べたい」とも「飲みたい」とも,一言も言わなかった。。。
[PR]
by rompop | 2007-09-19 15:34 | ホスピタル

2007・9・8 母,泣く。。。

昨夜も母とあれこれ話し,自分でも考え続けたが,やっぱり答えが出ない。


一番のワタシの失敗は,「胃ろう」の話をする際にも,はっきりと「嚥下機能がダメで,もう口からは食べられそうもない」と,父に告げなかったコトだ。

正確にいえば,機能すべてがダメになったわけではない。喉のところにある「蓋」の動きが悪く,閉まらなかったり,閉まったとしてもワンテンポ遅れたり,そのせいで,食べ物が気管のほうへ流れ込んでしまう。そして,もう1つは,喉のところに,食べ物や唾液などの残留物が溜まりやすくなってしまっている。そのときは大丈夫でも,寝ている時などに,この残留物が少しずつ気管へ流れ込んでいってしまうのだ。飲み込む力自体は,ちゃんとある。咀嚼もできる。歯も79才なのに,全部自分の歯だし。。。

父には,あまりダメだという実感はないだろう。むせるコトはあっても,ちゃんと噛んで,飲みこんでいる。「食べられるのに」と思っても無理はない。食べられるけど,見えないところで,どんな風になるかわからないから,怖いのだが。


どうしても,医者から言われた「もう普通の食事はおそらく無理ですね」という現実を,ワタシは父に言えなかった。

「今のままでは,どんどん体力が落ちていって,また肺炎になったらホントに危ない。だから,とりあえず,胃から栄養を入れてもらおう。とりあえず,今はしかたないから,そうして,元気になるよう考えよう」としか,言えなかった。父は,「じゃあしかたない。それならやってもらおう」と言ってくれたのだった。


だから。。。おそらく父は,栄養状態が良くて少し元気になったら,また食べさせてもらえるのだと,思っているのだと思う。なのに,いつまでたっても,食事のお膳は出てこない。「食べたい」と訴えても,ワタシは,「まだ・・・当分,無理やわ,パパ」としか言わないから,父は疑心暗鬼になるのだろう。記憶が飛び飛びになっている父は,「こないだまでちゃんと食べていたのになぁ・・・なんでこんなコトになったんだろう」と,言ったコトもあった。

その時は,ショックが大きくても,ちゃんとありのままを,伝えるべきだったのだろうか。どんなに酷いコトだったとしても,父の身体,父の人生なのだ。それをワタシは,真綿でくるんで誤魔化し誤魔化し,やってきた。先延ばしにして,「自己決定」できない段階になって,やっと真実を言うなんて。。。そのほうが残酷なのかもしれない。ワタシは間違っていたのかも。


母は,「ちゃんとホントのコトを言ってあげたほうがいいんじゃないかな。」と言う。「そうしたら,パパも考えてあきらめがつくかもしれない」と。


午後,母を連れて病院へ行くコトにした。母の体調もよかったし,父も喜ぶと思ったから。でも,本当は,食事時のあの辛そうな父の姿を,1人だけで見ているのが我慢できなくなったのだ。母にも見て欲しい,見て,一緒にどうしたらいいか,考えて欲しい,と思ったのだ。歳とった親に,荷物を半分背負ってほしいと思うなんて,ワタシは,弱っちいな。。。。


タクシーで3時半頃,病室へ。せっかく母を伴ってきたというのに,今日の父は,ぜんぜんダメだった。とにかく眠いようで,うつらうつらしていて,反応も鈍い。「寝れなかった?」と聞くと,「寝れたよ」とは言うが,あとで看護師さんに聞くと,昨夜は夜中に何度も何度もコールを押して,収拾がつかなかったので,夜中にしばらく,車椅子でナースステーションに座っていてもらいました,とのコト。

そんなコト,いままでほとんどなかったのに。。。パパ,どうしちゃったんだろう?「昼間は落ち着いているように思ったんだけど,どうしてでしょう?」と言うと,「環境が変わると,やっぱり不穏になる人が多いんですよ。昼間は大丈夫でも夜になるとそうなっちゃう人が多いです」とのコト。この環境の変化はたいしたコトないだろう,と思っていたが,父にとっては,そうでもなかったのだ。

そんなわけで,父は大いに寝不足だったようで,口数も少なく。。。


母は今日はやたら気合いが入っていて,「7時ごろまで大丈夫」と言い張る。母の体調をきづかいながら,少し長めにいてもらうコトにした。


夕食の時間になり,隣のベッドにお膳が配られた。カーテンは引かれてあったが,狭い病室には,たちまち匂いが充満する。汁気の多い食事は,とても盛大な音がする。父は,黙っていたが,チラチラと隣のベッドのほうに,なんともいえない表情で視線を向けた。もう,父もお腹が空いている時間だ。この匂いと音の刺激は,胃袋には強烈だなぁ。。。そんな父の様子を母は黙ってじっと見ていて,「残酷やなぁ,これは」と,そっとワタシに耳打ちした。


帰り際,母が父の布団を直してやりながら,「パパ,辛いやろうけど。。。我慢してや。。。」と言うなり,さめざめと泣き出してしまった。父は,ちょっとビックリしたような顔をして,ワタシと母の顔を見比べていた。ワタシもつられて泣きたくなったが,ワタシと母が一緒に泣いたら,ちょっと。。。重すぎる。ワタシは「ありゃりゃ~」みたいなおどけた顔をして見せた。父は笑わずに,母の顔ばかり見ていた。

「また来るしなぁ」と,母と父はがっちりと固い握手をして病室を出た。入れ違いに入ってきた看護師さんが,「お別れの握手やね」と,微笑んだ。家にいた頃は,母は父に小言ばかり言っていたのに,こうやって他人が見ると,ものすごく仲の良い夫婦みたいに見えるだろうなぁ。


家に帰ったら7時半。「なにをそんなに長居してるんや!」と,弟が小言。母の身体を気遣ってのコトだろうけど,ホント,小姑みたいにうるさいヤツや。


夕食後,母と今日の父の様子を思い出しながら,話す。

母は,「パパに,もう,言わなくていいわ。。。ホントのコトは。もう,ちゃんとわかってきてはる。あの顔みたら,もうわかってきているな,と思った。だから,もう,はっきり言ってあげんでもええ。可哀相やから。。。」と言う。

「もう,ママが泣くから,パパ,どんだけ自分がひどい状態なのかな?とか思ったんちがうか?」「でも,なんともいえん顔で,隣の人を見てるのみてたら,可哀相で可哀相で。。。」


今夜も,答えが出ないままに夜が更ける。
[PR]
by rompop | 2007-09-19 15:20 | ホスピタル

2007・9・7 延長。

今日も夏休み。朝,ゆっくり眠れるのはありがたい。だが,テレビを見ていても,何をしていても,胸のあたりにモヤモヤがある。「なんだろう?このモヤモヤは」と思った次の瞬間に,「そうか,パパのコト,ちゃんと決めなきゃいけないんだ」と気づいて,どーんと気分が下降する。


予想外の展開だが,今のリハビリ病院にもう少しいられるコトになったようだ。本来なら,今月いっぱいで出なくてはならなかったのだが,「胃ろう造設」で,帰って来た日から新たにカウントされるコトとなり,結局,12月5日が上限となった。


最初,母とワタシが,「そんな風になったらいいのにねぇ」などと言っていた時,弟が激怒した。「2人とも暢気だ」と。一度肺炎になって戻ってきた時に,『廃用症候群』という病名がついて,期間が延びた。今回は,その『廃用症候群』の治療中に,ただ単に「胃ろう」を造って帰ってくるだけで,なんの新しい病名がつくんだ?と。なにをどう考えたら,そんな暢気な考えが出てくるのか?と。

次の病院の相談をソーシャルワーカーとしたり,障害者手帖の申請をしたりしているのは,昼間自由に動ける弟の役目になってしまっている。ワタシは仕事があるから仕方ないと思うし,本人もそれはわかっているのだが,やっぱりストレスがたまっているようで,時々あらぬところで,ワタシと母は被害をこうむる。


だけど,ワタシと母が言ってたとおりになったじゃないか。弟は母には,「きつい言い方してごめん」と謝ったそうだが,ワタシは謝ってもらってないぞ。ものすごくネチネチと言われたんだから。。。


というわけで,とりあえず,父を1ヶ月もしないうちに,違うところへ移さなくてはならない現実には,待ったをかけるコトができた。これだけでも,ほんとヨカッタと思う。


今日は少し遅めに,4時半頃病院へ。なんとなく,昨夜の父の様子がつらすぎて,病院へ行く足が重くなってしまった。行ってやらなきゃ,と思うのに,その一方で,「行きたくない,つらいものは,見たくない」と思ってしまう,この矛盾。人間,誰しも,楽ちんな場所に居たいと思ってしまうものなのだろう。

今でさえこれだから,いつか,父が終末期に入ったら,ワタシはどんな具合にくじけてしまうのかな。いや,それとも,段々と少しずつ目の前の現実に慣れていくものなのかな。


今日の父は,「食べたい」とも何とも言わなかった。心のどこかでホッとする自分がいる。今日は最初から,隣のベッドとの間のカーテンが,きっちりと引かれていた。きっと,昨夜の看護師さんが申し送りをしてくれたのだろう。匂いや音は遮れなくても,ビジュアルだけでも。。。と考えてくれたのかもしれない。


隣のオジさんには,申し訳ないと思う。無口だが,はにかんだ笑顔が優しそうな人だ。車椅子だが,食事もトイレもベッドでしている。ほとんどの時間,黙ってベッドに横になっている。

今夜は最初,遠慮がちに音を立てないように食べているように感じて,心の中で「すいません」と謝ったが,やはり不自由な手で汁物を食べるのは難しいようで,次第にすすりこむ音が大きくなった。父は何度か,隣のカーテンのほうをチラッとみたが,黙っていた。わざとじゃないコトを,父に説明してやったほうがイイのかもしれないな,と思ったが,言いようがなくて黙っていた。


夕食が終わるころ,父は機嫌が悪くなり,黙りこんでしまった。今の父には,憤りしかないんだろうなぁ。いくら言っても,食事を与えてくれない周囲に対して。昨夜の看護師さんには,「こないだまで,ちゃんとお膳が来ていたんだ」と訴えていた。でも,父の頭の中からは,なぜか不味くてドロドロのミキサー食を,むせながら苦労して食べていた時の記憶が,消し飛んでしまっている。


帰り際,看護師さんから,「ミツカン酢を買ってきてください」と言われる。「???」と思ったが,どうやら栄養注入の最後に,チューブを綺麗に保つために,お酢を使用するらしい。5ccほど,注入するという。お酢なら,身体に入っても害はないどころか,かえって健康にイイぐらいだ。

「ちゃんと瓶に名前を書いて,保管しますので」と言われて,「ボトルキープしてくれるんですね」と,軽口を叩く。「そう,ボトルキープです(笑)」と,看護師さんもホッとしたように笑う。


帰りにスーパーによって,ミツカンの「米酢」を1本買う。お徳用にしようかと思ったが,あまり量が多いのを買って劣化してしまっても,それがそのまま父の身体に入るのだから・・・と,小さい方にした。


帰宅すると,「パパ,今日どうだった?」と,母が真っ先に心配そうに尋ねる。
[PR]
by rompop | 2007-09-19 13:00 | ホスピタル

2007・9・6 ③ 家族会議。

帰宅後,母と弟を呼んで,看護師さんから言われた話をした。意見が完全に分かれてしまった。

弟は,絶対反対だ,と言う。まず,リスクが増えるコト。そして,なによりも,今後,普通食が食べられる可能性のない父に,いたずらに味を思い出させる行為をすることは,残酷だ,と言う。少しゼリーやアイスクリームを食べられたとしても,それは父が好きな時に,好きなだけ家族が与えられるものではない。STさんがつききりで,決まった時間に,決まった量だけ。しかも,この病院にいる3ヶ月弱の間だけのコトになる。次に行く病院は療養型だから,STさんがいたとしても,父へのリハビリは行われないだろう。

母は,どうせ食べられなくなるのなら,少しの間だけでも,なんでもいいから,口に入れてやりたい,という。本当に父が食べたいものではなくても,それが慰めになり,張り合いになるかもしれない,と。食べさせるコトで,もし命にかかわるコトがあったとしても,「そのときは,それで仕方ないと思う」とまで言う。

母は,自分が食いしん坊だから,口から何も食べられない,という状態が,耐え難く思うのだろう。「私だったら,ずっと食べられないなら死んだ方がいいかもしれない」と言う。


ワタシは。。。。決められない。


父にとって,なにが可哀相で,なにが可哀相でないコトなのか,さっぱりわからなくなった。


父は若い頃にひどい結核を患い,肺気腫もある。肺のパフォーマンスは,もともと普通の老人よりも劣っている。普通の人ならなんとか乗り越えられる肺炎が,父には,「命とり」になる可能性はある。

それから,心房細動。血液を送り出すポンプの心臓が,たえずブルブル震えているような状態だ。医者からは,「いつ血栓ができてもおかしくないです」と言われている。肺炎になれば,肺のパフォーマンスが落ち,酸素がとりこめなくなる。心臓にも負担がかかる。

脳内出血後,父にとって一番大事だった,血流をよくする薬『ワーファリン』は中止された。医学的には,それが常識らしい。しかし,誤嚥性肺炎で入院した際の主治医は,父の心房細動にとことんこだわり,効果はゆるやかだが,血流に作用する『バイアスピリン』を処方した。再度の脳出血も怖ろしいが,詰まって脳梗塞を起こしたほうが,重篤になると判断したらしい。

ともかく,持病をいくつか抱える老人としては,肺炎は,ただの肺炎では治まらない怖さがある。それはちゃんと理解しなくてはならない。そのうえで,「でも,そうなったらなったで,仕方ない」と,ワタシは母のようには考えられない。父には・・・生きていて欲しい。


夕食も食べずに2時間ぐらい,ああでもない,こうでもない,と話しあった。でも,答えは出ない。


そこへ突然の電話。東京に住む父の義理の姉が,亡くなったとの知らせ。知らせてくれたのは,お嫁さんだった。

要介護度4で認知症もあり,車椅子生活。長く在宅介護をしていたが,3年目に家族がギブアップし,最近,施設に入所したばかりだったらしい。

1週間前に突然,肺炎になり,「1~2週間で肺の影は治まります」と医者から言われていた矢先に急変して,亡くなった。死に目には,実の娘さん1人だけしか間に合わなかった,という。

「老人の肺炎は・・・本当に怖いわ。いつ急変するかわからないから・・・」


なんてタイムリーな電話だろう。これは,なんかのメッセージかな?と思ったぐらいだった。
お葬式はクリスチャンだった本人の希望で,東京の銀座教会で。父のコトも母の体調も,よく知っているので,「遠くて大変だし,平日だから,来てくれなくてもいい。気持ちだけで」と言ってくださった。お花代としてお香典を送り,当日届くように,お悔やみの電報を,父の名前で打った。


夜,激しい雨。
[PR]
by rompop | 2007-09-19 11:41 | ホスピタル

2007・9・6 ② 「ご家族の意向」。

父の肌着を1枚買い,4時ごろ病院へ着いた。


今日は,こちらへきて初めての入浴日。シャワーを浴び,髪を洗ってもらい,ヒゲも剃ってもらって,父はすっかり「すっきり」と綺麗になっていた。7月の終わり頃から風呂に入っていなかったから,かなり垢で汚く,身体も髪も臭かったのだ。

「すっきりしたなぁ」と言うと,父は笑顔。リハビリもしたらしく,疲れてはいるが,しゃんとしたカンジだった。


担当の看護師さんがワタシをこっそりと呼び,今後の嚥下リハビリについて,意向を聞かれる。誤嚥性肺炎を繰り返して,「胃ろう」となった父だが,今後,「慰め程度に」ST(言語療法士)が,少しだけゼリーなどを食べさせるコトを希望しますか?とのコト。


こちらへ戻ったら聞かれるだろうな。。。とは思っていたが,答えが出ないままだった。少しでも口から何かを入れるというコトは,誤嚥のリスクを増やすコトになるのは間違いないから。


案の定,「○○さんの場合,喉の蓋がうまく閉まらない,という状態で,しかも残留物が喉に溜まりやすい,と言うコトですから。。。」「胃ろうのあとも,唾液か栄養剤の逆流か,原因は不明ですが,あちらでも一度,誤嚥性肺炎を起こしていると,診療情報が来ていますから。。。」「なかなか難しいとは思うんですが。。。」と,いろいろ言われる。

「せっかく栄養剤が落ち着いて,これからリハビリもして体力を回復していこう,っていう大事な時に,また肺炎を起こしたら逆戻りですし。。。」とも。


要するに,病院側としては,「危ないコトは,止めておいたほうが」のニュアンス。それはそうだろうな。。。病院はいつも,危ないコトは勧めない。


今,こちらのフロアには父のほかに,胃ろうの患者さんが2人いる。1人は胃ろうのみの栄養,もう1人は,「家族のたっての希望で」,昼食時にSTさんがつききりで,アイスクリームを少量,食べさせてあげている,とのコトだった。

「その方,もちろん,嚥下障害の方ですよね?」「はい,そうです」

つまり,リスクはあっても,家族が強く希望すれば,よほどでなければやってもらえる,というコトだ。「よほど」というのは,たった一口でも,たった一滴でも口から入れれば,即,命が危険。。。というぐらいのコトだろうか。「どう考えておられますか?」と確認するぐらいなのだから,問答無用で無理!という状態でもないのだろう。ただ,なにかあった場合でも,「いちおうリスクがある旨は説明したのですが,ご家族が希望されたから」で済まされてしまうだろう。


即答できるわけがない。「少しご家族で相談されてください」と言われる。


夕食の配膳が始まった。父は,ベッドをギャッジアップして栄養を注入してもらっている。普通の患者さんたちの配膳がバタバタと終わってから,いつも父は後回しだ。

6時すぎ,先に白湯を少量,注入される。これは摘下なので,10分ぐらいかかる。終わったあと,15分ぐらいしてから,栄養剤。でも,食事介助が大変な患者さんたちがいると,看護師さんの手が空くまで,父は待たねばならない。

父のベッドと隣のベッドは,本当に間隔がせまい。隣の患者さんは,なんの後遺症なのか,手や足が,ひどく変形してねじ曲がってしまっているが,それでも,柄の太いスプーンを使って,ちゃんと自分でお膳から食べている。ただ,箸でつまむことができない分,器に口をつけて,ズルズルとすすりこむような食べ方になるのは,いたしかたないだろう。


しかし,父にはそんな事情はわからない。空腹なのに,すぐ隣からは,生温かい食事の匂いと,ズルズルと大きな音が絶えず聞こえてくる。隣のオジさんは苦労しているのだが,音だけ聴いていると,ものすごく美味しそうに夢中で食べているように聞こえる。

父は忌々しそうに,何度かチラッと隣のベッドをにらんだ。隣のオジさんのお膳が見えないように,ワタシはテレビ台を微妙に動かしたりしてガードしたが,ムダな抵抗だった。

耐えかねるように,「あぁ,食べたいなぁ」と父が唸った。「そうだね,辛いなぁ」と小声でワタシは答えた。「隣の人が羨ましいなぁ,あんなに美味しそうに食べてる」「・・・そんなに美味しそうでもないよ・・・」と,やっとの思いで言った。「いや,美味しそうな肉団子だった」父はしっかり,隣のおかずをチェックしていた。


6時半過ぎに,やっとのコトで,栄養剤をもった看護師さんがやってきた。腹がふくれれば,少しは気持ちも治まるだろう。。。

半分ぐらい注入したあと,看護師さんが父に尋ねた。「○○さん,お腹痛かったり,ムカムカしたりしてないですか?」「お腹は大丈夫だけど,ムカムカします」「あら!?胸が気持ち悪いですか??」

むかついたら,とりあえず,注入を中止しなくてはならない。

「胸は大丈夫だけど,気持ちがムカムカします!」と父。「え?気持ちがムカムカしますか?」と,看護師さんは,父の顔をじっと見た。

「すぐ横であんなに美味そうに,ズルズル大きな音を立てて!我慢できない,何とかならんのか!?」父は大きな声を出した。


ワタシも看護師さんも,隣のオジさんも,固まった。。。。おっとりした優しいタイプの看護師さんは,少し黙っていたが,「そうか。。。食べたくなっちゃうもんね,辛いですよね。。。また,先生に聞いてみないとね。。。」と言った。


父はもう,それっきり何も言わなかったが,口をかすかにとがらせて,目を閉じてしまった。ワタシはどう話しかけていいものやらわからず,ベッド脇に座って,父の顔ばかり見ていた。
[PR]
by rompop | 2007-09-19 11:40 | ホスピタル

2007・9・6 ① 療養型病床。

残っていた夏休みを,午後から半休とった。ゆったりウィンドウショッピングでもしたいところだが,懸念事項を片づけなければ。

JRは,事故のため,運行を休止していた。しかたなく,阪急に乗り,地元の駅でおりてバスに乗る。


市内にただ1つだけある,介護療養型の病院。5月には,隣接する老健の見学にきたコトがある。見学の感触は悪くなかったのだが,父に「経過観察中の大人しい前立腺癌」があるコトが知れると,ここの老健からは,あっという間に断られてしまったのだ。

隣にあった病院は見学していなかった。まだ父には必要ないと,その時は思っていたから。老健の担当員の話では,「要介護度4以上」の人がほとんどで,「天寿を全うされるまでおられる方が多い」とのコト。

胃ろうになった時点で,市内での老健利用は,難しくなってしまった。入れるところがあるとしても,待機期間が間違いなく長い。そして,3ヶ月か半年サイクルで,次の受け入れ先を探してウロウロするコトになる。

療養型の病院なんて・・・イヤだな,と思う気持ちも正直ある。間違いなく,父は寝たきりになってしまうだろう。リハビリが辛い父にとっては,楽になれるのだろうが。。。けど,今の父にフィットする場所が,どうしても見つけられない。病院以外の施設では「進行がきわめて遅い」といくら説明しても,前立腺の癌が,ネックになってしまう。


次にうつる病院の目星はつけてある。以前,こっそり見学に行き,「ここならイイ」と思った,隣町の病院だ。もう1つのところは,「死んでもこんな所には入れたくない」と思った。ただし,ここも基本は3ヶ月か半年だという。病院を転々とさせるのでは,老健をたらい回しにするのと,ちっとも変わらない。だから,落ち着けるところを,見つけなければならないのだ。


阪急の駅から8分ほどバスに揺られて,着いた。駅前からちょっと離れただけなのに,いきなり「田舎」な風情が漂う。緑色の田んぼが一面に広がり,農家が転々としている。スズメがたくさん飛んでいる。切り立った山のふもとに,どーんと,そのR病院は建っている。ぽつんとあるバス停でバスを降り,田んぼの際の道を通って,病院へ向かって歩く。

平日の昼間だというのに,都心部の病院とは違って,人の出入りがほとんど無い。これはつまり,療養型の病院の特徴なのかな。この病院は,一般病棟はなく,病院全部が,長期療養型の病床なのだ。外来もやってはいるが,内科とリハビリテーション科のみ。地元にずっと昔からある老人病院なのだろう。


ガードのきびしい病院だったら,看護師詰め所でチェックされるかもしれない。ドキドキしながら,同じバスから降りた初老のご婦人(どうやらオムツを下げて面会に行くらしい)のあとをついて,紛れるようにして,エレベーターに乗りこんだ。


ご婦人は,ゆっくりと後ろをついてきて,一緒にエレベーターに乗りこんだワタシに気づいて,ちょっと警戒しているようだった。エレベーターのボタンを押さずに,「どうぞ」とワタシに先を譲った。しかたなく,最上階の4階のボタンを押す。


エレベーターの扉が開いた正面に,看護師詰め所。受付に氏名を記帳するためのノートが広げてある。書かなきゃなんか言われるかな。でも,昼食後ののんびりした時間帯だったためか,看護師ものんびりしていて,ワタシが前を通っても顔も上げなかった。


面会に来て病室を探すふりをしながら,廊下を奥までゆっくり歩く。もちろん,両側の病室の様子をチェックしながら。


部屋は4人部屋が多い。ガラス窓から,明るい光がいっぱい差し込んでいて,明るい病室。ベッドとベッドの間隔も十分広い。廊下も広くて,清潔なカンジ。

しかしベッドに横たわる患者さんは,どの人も,真っ平らに寝ている。備え付けのテレビを見ている人もいるにはいるが,たいていの人は,静かに眠っている。あるいは,口を開けて空を見つめている。テレビを見ている人も,ベッドは真っ平らなままだ。つまり,ベッドをギャッジアップして,本を読んだり,テレビを見たりしている人がいないのだ。もちろん,ベッドから降りて車椅子でどこかへ行っている人もいない。規則正しく並んだベッドに,患者さんが綺麗に並んで横になっている。。。

一見して,要介護度の高い人たちの病棟だとわかる。でも,気管切開している人や,人工呼吸器をつけているような人はあまり目につかなかった。なぜだろう?あまり重篤な状態の人は,医療型の病院へ移るのだろうか。


普通の病院の病棟と違うところ。面会に来ている家族の姿が圧倒的に少ない。見たのは数人だった。それも,静かにオムツの整理をしていたり,枕元に座って,小さな声で文庫本を読み聞かせていたり。。。きっと,もう,家族ができるコトがほとんど無くなった患者さんたちだからだろう。家族がきても,話もできず,わからない人も多いのかもしれない。


1人だけ,ベッドに起きあがって座り,医者と何かを話している患者さんがいた。「ベッドに自分で座れる人なんだ」と,ちょっとビックリした。ちょっとこの病院には,早い人だな。。。でも,それなら,父はどうなんだろう?


廊下の壁には手作りの折り紙などが飾られている。「食堂」とプレートのかかった部屋があったが,ここに移動してきて食べられる患者さんが,どのくらいいるのかな?廊下の中程には,明るくて温かい雰囲気のちょっとした談話スペースもある。ここに患者さんが憩うコトってあるのかな。療養型の病床には,食堂などの設置が義務づけられていると聞いたコトがあるから,その名残なのかな。


そのままエレベーターにのり,3階と2階も,ドキドキしながら歩いた。どの階も同じだった。静かで広くて,明るくて。。。。。うめいている人や,大声を出している人はいない。廊下に,気持ちの良い風が吹いているような気がした。なんとなく,だけど,優しい「気」が流れているようなカンジがした。

「ここなら・・・イイ」と,思った。


バス停に戻ると,小雨が降り出した。少し濡れたが,阪急の駅前に戻り,ちょっと考えて,もう1つ,見にいくコトにした。

隣町にあるK病院へ。ここは,ソーシャルワーカーに相談しているなかで名前の出た病院だ。すぐに入れてくれそうな雰囲気だった。


駅前のごちゃごちゃした所に,突然あった。敷地が狭い分,上に高く伸びている。5階建てだ。入り口のドアから入ったとたん,受付にいた2人の女性が,そろってこちらを見た。病棟へ行くには,外来のロビーを抜けていかねばならない。明らかに,呼び止められそうな気配に負けてしまった。

また外に出る。正面入り口だけでなく,通用口にも,「関係者以外の面会・立ち入りお断り」の貼り紙がデカデカと貼ってある。ガードが堅い。。。。。


外側から病室の天井が少しだけ見えた。カーテンレールの間隔から,ベッドの間隔もそんなに広くなさそうだな,と思う。ここは,一般の病棟の中に,「療養型」の病床があるのだ。きっと,フロアが分かれているのだろう。でも中の様子がさっぱりわからない。


隣には,同系列の病院が1つある。が,「休診しております」の札がかかり,真っ暗だ。休診というよりも,どうみても廃業したカンジなのだが。ネットでこの病院を検索している時,この休診中の病院のほうで,なにか不祥事があったと読んだコトがあった。そのせいかな。。。


どうも,よくわからないというか,いやにガードが強いのが,怪しいカンジだ。


あきらめて,地元の駅に戻る。もう3時前だ。

あまりにも空腹なので,おそいお昼を食べるコトに。中華料理屋で,中華丼を。ワカメスープと野菜サラダつき。美味しい。。。


美味しいモノを食べる時,父のコトを考えてしまう。すると,申し訳ないような気持ちが沸き上がってきて,美味しさを半減させる。
[PR]
by rompop | 2007-09-06 23:28 | ホスピタル

2007・9・5 転院。

午後,弟から携帯に電話。父の転院手続は無事終了した模様。


5時半になるのを待って,ダッシュで病院へ向かう。

最初に救急車でかつぎこまれた急性期治療の病院。2ヶ月後の2月に移ったのが,隣接するリハビリ病院だった。6月には誤嚥性肺炎を起こし,また急性期治療の病院のほうへ。治療を終えてリハビリ病院へ7月に戻ってきたが,また8月には「胃ろう」を作るために,急性期治療病院へ入院した。

そして,9月に入って,またまたリハビリ病院へ戻ってきたというわけだ。


本来なら,半年の期限いっぱいで,9月2日までしかいられないリハビリ病院だったが,誤嚥性肺炎のあと,「廃用症候群」(身体全体の機能が著しくおちた状態)との病名が追加され,そのおかげで,その時点からのカウントとなり,結果,10月2日までは置いてもらえるコトになっている。


今回,「胃ろう」を作ったので,またなんかの理由で,カウントのしかたが変わり,ちょっと期間が延びないかな。。。と,甘い期待をしていたのだが,やっぱり,甘い期待に終わった。ずっとここに置いてもらえて,リハビリをしてもらえたらどんなにイイだろう,と思うが。まぁ,みんな,そう思うわけで。


1ヶ月ちょっとぶりに戻ってみると,患者さんの顔ぶれが,微妙に変わっていた。いなくなった人。。。お家に帰れたのかな?それとも,どこかへ。。。


辛い「胃ろう」を作って戻ってきた父だが,看護師さんや看護助手さんたちは,事務的に淡々としていて,忙しいのもあるだろうが,優しい声をかけてくれる人はいない。行ったり来たりで,期限ぎりぎりまで居座っている患者と家族は,やっぱり歓迎されないのかな。そんな空気をひしひしと感じる。


今回は特に希望したわけではなかったが,前と同じ3階フロアに戻れた。病室は,父が一番最初に入った301号室で,ベッドも同じだ。3人部屋で,結構狭い。隣とのベッドの間も,あまりスペースがない。パイプ椅子を置いてベッド脇に座っていても,隣のベッドに人がくるたびに,椅子をたたんで立ち上がらなければいけない。ワタシの居場所は,ますますないなぁ。。。


父は,布団をかぶって寝ていた。チューブから水分が入っていて,それが終わったあと,注射器で,どんぶりいっぱいぐらいの栄養剤を注入された。


ベッド位置が一番奥で落ち着けるせいもあるのか,思ったより不穏なカンジではない。ただ,ちょっと疲れているのかもしれない。機嫌は悪いこともないが,良いこともない。ただ,されるがまま,しかたなく「そこにいる」というカンジだ。


今までの病院に比べて冷房がよく効いているので,父は寒い,という。寝る前に長袖の肌着に着替えさせてもらうよう,看護師さんに頼んだ。尻の床ずれのコトも話し,柔らかいマットレスに替えてほしい,とも頼んだ。頼みにくい雰囲気だったが,父のためだ,と思い,頼んだ。


父は,今夜はいくらいっても,靴下を脱がせてくれなかった。「寒い」と言う。今夜はしかたないか・・・と,そのままにしておいた。また水虫が悪化する。


帰り際,父は機嫌が悪くなりだした。ちょっとした父の言葉で,ワタシも気を悪くしてしまい,8時前にさっさと帰ってきた。
[PR]
by rompop | 2007-09-06 08:38 | ホスピタル

2007・9・4 野次馬。

病院へ行く途中,駅前の歩道橋に,若い女性が倒れていた。そばには,ベビーカーに乗った赤ちゃん。まだ若いお母さんらしい。どうしたのだろう?

救急車がまだ到着しないようで,駅員さんたちが毛布をかけたり,いろいろしていたが,ものすごい数の野次馬。


父は寝ていたが,「やぁ」というと,笑顔になった。夕方になって,病室が暗くなってきたので,枕元の灯りをつけた。


明日の転院のコトを,いちおう,もう一度繰り返して言っておく。ワタシは一緒にいけないが,弟が付きそうコト。夜は,いつもと同じ時間に必ず行くから,と。同じ3階フロアだが,多分,部屋は前と変わるから,違う場所に来たと感じるかもしれない。

「前にいた病室,覚えてる?ほら,冷房が寒かった部屋・・・」と聞くと,「覚えてない」とのこと。そうか,覚えてないのか。

「混乱するわな・・・」と,今度は父が自分で言ったので,ちょっとビックリ。「看護師さんの顔,見たらまた思い出すよ」と言ったが,「さぁ,行ってみないとわからないね。。。もう,別にどこでもいいけど・・・」


ホント,父には気の毒だ。でも,リハビリ病院に戻れても,いられるのは今月いっぱい。今度は,また全然知らない病院へ移るコトになってしまう。そのコトを,ワタシたちはまだ,父に話せていない。そのことを考えると,気持ちが萎える。。。


父は明日のコトを考えて落ち着かないのか,そわそわしていたが,アゴをなでていたかと思うと,「ヒゲ,剃ってくれる?」と言う。ワタシも,いちおう,ちょっとでも小綺麗にしておいたほうがイイかな。。。と思っていたところ。二つ返事でヒゲを剃る。

父は首筋もじっとりと汗ばんでいる。暑いというので,布団をめくる。体温調節がうまくいかないのかなぁ。おしぼりを持ってきて,拭いてやる。


給湯室の氷を自由に使えるのも,今日が最後なので(リハビリ病院にはない),滅菌ガーゼを氷水に浸して,口の中をぬぐってやる。固く絞ったつもりだったが,直後に父が咳をしたので,ヒヤッとした。


帰る前に,ベッドの足元を少し下げたら,「あ。ウンコにくっついた!」と言う。どうやら,ウンコが出ていて,自分で適当にお尻を浮かしていたらしいのだが,ワタシがベッドの足元をフラットにしたので,ウンコの上にお尻が乗っかってしまったよう。

「ウンコ,出たなら早く言えばいいのに」とイイながら,コールを押して,オムツ交換をしてもらう。見ると,それほど出ていなかった。夜にまた出るのかな・・・・


「よく寝てな~」と,握手をして帰ってきた。父の手は,じっとりと熱かった。
[PR]
by rompop | 2007-09-04 22:40 | ホスピタル

2007・9・3 転院日,決まる。

リハビリ病院への転院手続の件で,なんだかんだで,朝9時に病院へ出向く羽目に。これも,主治医が頼りないせい。

とりあえず,8時に起きて,バナナとミルクだけお腹に入れて,病院へ。

主治医が見あたらなかったので,昨夜からよく事情をわかっている看護師さんに,主治医に問い合せをしてもらう。


こんな時間に病室にきたのは,初めてかな。9時過ぎに病室に入ると,父はちょっと驚いていたが,急に,「そうそう。ママが行方不明で大変なんだ」と言う。「夢ちがう?さっき,家にいたよ」と言っても,「夢かなぁ。。。心配だなぁ」と不信そうな顔。それは不安な夢を見たもんだ。

看護師さんがやってきて,「10時半からリハビリありますからね」と言うと,たちまち,父の顔がこわばる。この病院の父の担当の療法士さんは,若い女性だけど,結構きつくて,スパルタなのだ。まぁ,優しくばかりしていては,リハビリにはならないのだろうけど。ともかく,「リハビリ」と言われると,顔が変わる。これはもう,パブロフの犬だな・・・・・


ベッド脇には洗濯モノの山。ううむ・・・持ち帰って洗濯してもいいが,暇だから,コインランドリーで洗ってしまおうか。洗って乾かすと300円かかるけどね。

そうしてる間に,別の看護師さんが,「身体を拭いて,お着替えしましょうね」とやってくる。また洗濯物が増える。やっぱし,まとめて一気に洗うコトに決定。

今朝の父は,36,9℃。ちょっと高めだな。。。「午後から熱が上がるかも」と看護師さん。ううむ。


洗濯物を回しだしたところで,父のリハビリ開始。あとから1階のリハビリ室へ行ってみる。なんだか・・・思ったよりも,結構ヘビーなコトさせているなぁ。バーの間に立たせて,歩かせようとしている。。。

30分ぐらいみっちりリハビリをされて,父は解放された。車椅子を押して病室へ戻りながら,「しんどかったか?」と聞くと,「しんどいねぇ」と父。車椅子を押すと,1ヶ月半ぐらい洗っていない父の頭は,さすがに匂う。

部屋へ戻る前に,公衆電話があったので,家に電話をして母の声を聞かせるコトにした。突然かけたので,母もビックリしていたが,父はほとんど自分からは話さずに,「うん」とか「いや,大丈夫」とか返事しながら,嬉しそうな横顔で,一生懸命,母の声を聞いていた。

最初に,「ママが行方不明になったから,心配なんだって」とワタシが言ってから父にかわったので,受話器の向こうから,母の笑い声と「大丈夫です。安心してください」と,母が言っているのが漏れ聞こえてきた。


すぐに電話は切ったが,「どう?安心したやろう?」というと,父は笑いながら,「安心した」と言った。

ふかふかの洗濯物を棚にしまう。長袖のシャツが1枚混ざっている。半袖を着せて欲しくて,長袖は隠すように置いていたのに・・・これじゃ,暑いはずだよ・・・


昼前,看護師さんがやってきて,「転院はあさっての午前10時に決まりましたから」と言われる。今朝,朝いちで主治医がベッド調整を依頼してくれたらしいのだが,これまた早いなぁ。先週,これをちゃんとやってくれていたら,週末には転院できていただろうに。それを期待して,残りの夏休み,ぎりぎりまで待って,今日1日取っていたのに。。。あさっては,もう,他の人が休みを取ってしまったから,休むコトはできないだろう。転院の日は,父がまた,不穏にならないように,休みをとって,なるべく長い時間つきそいたかったのに。。。

まぁ,済んだコトはしかたがない。なんだか,いろんなコトがうまく回らなかった,というだけのコトだ。


昼食の配膳が済んで,だいぶ経っても,父の栄養は来なかった。父のお腹がぐうぐう鳴るのが聞こえる。

ふいに,「あぁ,美味しいモノが食べたいなぁ」と父が大声で言った。出た・・・久々だ・・・(汗)。「・・・ううん・・・」と生返事をしていると,「焼きうどん。それか,UFOでもいいから,焼きそば」と,また言う。

「パパ,やっぱり当分は無理やで。せっかくむせなくて,ちゃんと栄養が身体に入るようになったんやから・・・」と言っても,父はもう,ちょっと前のコトを忘れてしまっているのだ。どんどん食事が,細かくなり,どろどろのミキサー食になったコトも,それすら咽せて,咳き込んで,苦しい思いをして食べたコトも。それでも肺炎になって,高熱が続いたりしたコトも。

たしかに,今は,食べないから咽せないし,痰もでない。喉も肺もゼロゼロ言っていない。治ったから,もう大丈夫,と思うのだろう。思っても不思議じゃないと思う。

「どうにかならないのかな」と,父は言った。どうにかならないのかな。返事ができなかった。


とりあえず,空腹だと余計に食べ物のことを考える。お腹から看護師さんが注入してくれた時は,ホッとした。でも,父には,やはり,ちゃんと自分の身体の状態を把握してもらうべきなのだろうな。でも,それは・・・なんだかとても・・・・難しいコトだな。


注入のあと,父が目を閉じている時,いちおう,転院のコトを言っておこうと思い,「あさっての朝,リハビリ病院へ戻るからね」と言った。「僕ひとりで?」と聞くので,「いや,○○(弟)が朝きて,車椅子で連れていくから大丈夫。パパはなんも心配いらん」と言う。弟は何度も転院を1人でやってくれているので,ワタシよりもよほど慣れていると思う。ただ,父が落ち着いた(と思ったら),さっさと帰ってきてしまうけれど。。。

それでも父は不安なようで,「そもそも,ここには,なんで来たのだっけ?」などと聞く。「だから・・・口から食べるのが危なくなったから,お腹に口をつくる手術のために・・・」「え??手術??」「いや,手術といっても,胃カメラみたいなので・・・」「ふぅん・・・」


短期記憶が怪しいのは,認知症の症状だと思うけれど,ホント,大丈夫かなぁ。。。今までの流れが,父のなかでは,細切れになってしまっているようだ。そりゃ,不安だろうと思う。認知症っていうのは・・・ほんとに,絶えず不安のなかにいるようなものなんだろうな。ワタシは・・・どうすりゃいいんだろう。


今日はさすがに疲れた。もっと居てやりたいのは山々だけど,自分の身体を守るのは,自分しかない。ってコトで,2時に帰るコトにした。父は,午後から37℃ちょっと熱があがってきて,「なんとなくしんどい」と,大人しくなった。心配だけど・・・・しかたない。ここは,病院だもの,と言い聞かせて,病室を出る。
[PR]
by rompop | 2007-09-03 17:02 | ホスピタル

2007・9・2 苛立ち。

それにしても,休みの日に限って,どうしてこんなに身体がだるいのだろう。だらだら朝寝するせいかな。それとも,緊張がとけて,いっきに疲れが出るせいだろうか。めっちゃ,不調。


それでも,日曜日は面会客が多くて,父も淋しいだろうと思い,少しだけ早めに行くことにした。駅前にできた,いつも行列ができているたこ焼き屋で,たこ焼きを買って,病院のロビーでささっと食べて,お茶をしこたま飲んでから,病室へ。父の前では,絶対飲めないもんなぁ。

父は,37,3℃の微熱あり。氷枕はしていないが・・・背中も首筋も脇腹も,結構熱い。この熱だけは,なんとかならないかなぁ・・・

シーツと密着している背中の部分が,ものすごく汗で湿っているので,できたら着替えさせてもらいたいぐらい。でも,熱があるときは,着替えも辛いからなぁ・・・と,考えていると,看護師さんがやってきたので,相談。

とりあえず,協力して父の身体を横にし,背中のしたにバスタオルを敷き,父の背中と肌着の間に,タオルをはさんでみた。これで,ちょっとマシかもしれない。父は結構,迷惑そうにしていたが。。。


熱があるときは,しんどいだろうから,あれこれ話しかけたり,新聞を読ませたりしようとせず,おとなしく横で本を読む。ときどき,頃合いを見計らっては,ヒゲをそったり,おしぼりで顔を拭いたり,水虫の薬をすばやく塗ったり。あとはもう・・・することは,たいしてない。


昨日はあんなにウンコが出たのに,今日は全然。そりゃそうか。そのかわり,今日はオシッコがよく出て,ワタシがいる間に,2度ほど「オシッコが出た」と申告があったので,オムツを替えた。尿なら,交換はそんなに難しくはない。ただ,いつの間にか,夜用のオープンタイプではなく,シャーリングの履かせるタイプのオムツになっていたので,ちょっと苦労した。父に何度もお尻を持ち上げさせ,疲れさせてしまった。尿取りパッドをたくさん使った。


ちょっと不安をカンジていたのだが,火曜の夜に転院手続きに入るといっていた主治医が,不慣れなためか,なんだか回りくどい手続を取ったせいで,あちらの病院のベッド調整までこぎつけていないコトが今夜,判明。看護師さんのほうが,ちゃんとわかっているようなコトを,主治医はよく知らなかったよう。


腹もたつし,イライラするが,不安を感じながらも,その後確認もせず,ただ返事を待っていただけのワタシも悪い。ホント,教訓だ。どんなコトでも,人間のやるコトには,ミスがある。だから,不安があったら,すぐに自分から確認するなり,催促するなり,アクションを起こすべきなのだ。まったくもう・・・・・

リハビリ病院の残り期間の関係もあるので,戻れるならさっさと手際よく戻りたかったのに。まぁ,済んだコトを後悔してもしかたないので,忘れよう。


しかし,今回の主治医に関しては,一生懸命やってくれているとは思いたいのだが,なんだか頼りないなぁ,と思うコトが再三あり,もう,ワタシ的には信頼はほぼゼロだ。人間的に・・・というのでは決してないけど,「医者」として。若いから,経験がないから・・・しかたないのか?でも,こっちは大事な親を全面的に預けてるんだからね。


ベッド脇での,主治医と看護師,ワタシのやり取りを聞いていた父が,「・・・むずかしい話になってるの?」と心配そうに聞く。ワタシがずっと怖い顔をして考え込んでいたものだから。

「リハビリ病院に戻る日が,まだ決まらないだけ」と誤魔化したが,父は病院を移るのがイヤらしく,「やっぱり,リハビリ病院のほうがいいのかなぁ・・・」などと,軽くごねだした。

肺炎になったり,胃ろう造設のためだったり,理由はあるのだが,1ヶ月ごとに病院を行ったり来たりしているので,父はもう,すっかり,自分の病状の流れがわからなくなってしまっているみたい。


しかたなく,ここは治療を終えたら長くいられない病院だ,というコトを説明する。リハビリ病院は,父が一番長くいて,顔なじみの看護師さんたちもいるところなのに,もう,今の父には,遠い場所になってしまっているらしい。


父はむずかしい顔をして,時々つぶった目を開けて,なにか考えているらしかった。できることなら,ずっと同じ場所で落ち着かせてあげたいが。



6時前になった。父が「もう,帰ったほうがいいんじゃない?」と言うので,なにげなく,「もう少ししたら夕方の栄養やで」と言った。なんとなく,それが終わってから帰ろうかな,と思っていたのだ。

そうしたら父は,「栄養ったって・・・ここ(腹)からで,ここ(口)からじゃないんだから!」と,ジェスチャーを入れて,いらだったような声を出した。「うん・・・仕方ないやんか」と言うと,「だから居たって,することないだろう。ここ(口)からじゃないんだから。ただ,見届けるだけだろう」と。

思わず黙ってしまうと,「別にお姉ちゃんの好きにしたらイイけど!」と,布団をかぶってしまった。


・・・・・いらだっている気持ちはわかる。きっと,看護師さんたちがいちいち,明るい声で「○○さ~ん。ご飯にしましょうねぇ」と言って,腹から栄養を入れるコトも,気に入らないのだろう。ワタシだって,アレは違和感を感じる。なんだって,「ご飯」とか「お食事」とか強調して言うのだろう。そうしないと,患者が,これは「食事」ではなく,ただの「栄養剤」だと思うからだろうか。でも,味も匂いも,なんにも感じるコトのできないモノが,どうして「食事」なのだろう。どうして「食事」と認識しなくちゃならないのだろう。。。


なんだか,悲しくなってしまって,夜の栄養が始まる前に帰ってきた。
[PR]
by rompop | 2007-09-02 18:48 | ホスピタル