2006・12・9 父が,倒れた。

朝食は,昨夜の残りの「おでん」を少々。

午後1時ごろ,母がワタシを大声で呼ぶ。「お父さんが,おかしい。救急車呼んだほうがええやろうか」

慌てて階下へ降りると,父が庭の物置でうずくまり,動けなくなっていた。弟が父の身体を支えて,そのままどうにも動けなくなっている。

「どうした?大丈夫か?」と父に声をかけるが,「だいじょうぶ」という言葉が,不明瞭で,舌が回らなくなっている感じだ。明らかに危ない,と思った。

走って家に入り,119番。落ち着こうと,いつもより大声でゆっくりと話す。父には,微小の脳梗塞があり,ここ10年ほど,治療薬を服用している。あのろれつの回らなさは,脳梗塞の症状だ,と思った。

小雨が降ってきた。弟と二人で,父を抱えて,庭のポーチに移動させる。座布団を2枚敷き,父を座らせた。ワタシは傘をさして,家の外の曲がり角まで出て,救急車を誘導した。


いつもお世話になっている病院には,担当の医師がおらず,急遽,行ったコトのない救急病院へ搬送された。


CTスキャンの結果,脳梗塞ではなく,高血圧性の脳内出血。つまったのではなく,破れたのだ。土曜の午後のため,脳外科担当の医師はいない。救急の内科の医師が診察し,父はICU(集中治療室)へ移された。ワタシと母は,ただ,待合室で待つしかなかった。

しばらくして,父に面会が許された。言語は不明瞭で,左手と左足が,ほとんど自力では動かせない。右側に出来た脳内出血が神経に触れたので,左側に麻痺が出ている。意識ははっきりしていて,「大丈夫?」と聞くと,「だいじょうぶ」と答えた。点滴や酸素吸入の管を通された父。いつかこうなるコトがあるかもしれない,とは思っていたが,今朝はまだ,普通にしていたのに。

父は,石油ストーブの石油を,物置まで補充しに行った。タンクに石油を移し,きちんと蓋をして,それから・・・どうなったのだろう。弟が2階のベランダから下をみたら,物置の入り口で,腕を振り回しておかしな動きをしている父を見えた。母が庭に出た時には,父はもう,その場にうずくまっていた。


明日の朝,担当の脳外科の先生がくるので,話を聞きにきてください,と言われる。ICUには,重篤な患者さんが多いので,面会もごく短時間しか許されていない。ずっと父の手を握っていたかったが,もう部屋から出なくてはならなかった。家族にできることは,何もなかった。


母の目が真赤になっている。驚いた時に,血圧が上がったらしい。あまりにも充血しているので,「眼底出血」でも起こしたのではないか,と不安になる。しかし,土日は眼科の医師が休み,とのことで,見てもらうことはできなかった。母の血圧の方も心配だ。

病院からタクシーで自宅まで。1500円ほどかかった。これから,何度タクシーで往復せねばならないだろう。


食欲がなかった。弟が,きつねうどんを作ってくれたので,母と半分ずつ食べ,夕食は,ハマチの刺身,弟が作った味噌汁を食べた。


容態が急変する可能性もあるので,いつ電話がかかって召集されるかわからない。下の部屋で,母と一緒に寝た。母もワタシも,全然眠れず,寝返りばかり打っていた気がする。
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by rompop | 2006-12-10 14:10 | ホスピタル


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