作業。

とうの昔に自分の中から消滅したはずだったのに,Kの死は,思いのほかワタシに打撃をあたえた。閉じこめたはずだった記憶や思い,後悔,諸々のモノが,この数日,いっきにあふれ出した。

長い時間をかけて,自分なりに結末をつけ,終わらせたつもりだったが,そうではなかったコトを知る。もう1度,自分のなかのKを,「弔(とむら)い直す」作業は,思いのほか苦しい。



Kは車に追突したのではなく,正確には,高速道路で後ろから追突されたという。その衝撃で投げ出されて高速の鉄柵を越え,高架下に落下した。即死だった。

事故だと知ったとき,副作用の強い薬を何種類も飲んでいたKが,とっさのハンドル操作を誤ったのではないか,とまず考えた。あるいは,生きるのが辛い,というネガティブな気持ちが,彼を死におびき寄せたのかもしれない,とも。事故だけれど,なんとなく自殺のような気もしていた。

でも,そうじゃなかった。

彼はその朝の最後の日記にあるように,診察とカウンセリングを終えたあと,友人の祝いの席に駆けつけるために,高速を走った。久々にその友人と再会するコトも,祝いの言葉を言えるコトも,楽しみにしていたに違いない。何をする気力もなくベッドから起きあがれない日もしょっちゅうだったが,その日,Kは確かな目的を持って,前へ向かって走っていた。それなのに。



ワタシはまだ,ジタバタしている。美しい言葉で整理をつけて,冥福を祈って,それで終わらせたくはない。今までの人生のなかで,彼はあまりにも深く関った人だった。自分を納得させて楽になるための仮説や物語はいらない。もっと悲しみ,やり場のない怒りを感じ,嘆いてやりたい。Kが気の毒で可哀相でどうしようもない。混沌としてやりきれない気持ちのまま,そんな死に方はあんまりだ,と,何度でも泣きたい。

そうやってみっともなく暴れながら,変えようのない現実を,ワタシは少しずつゆっくりと受け入れていく。

とうの昔に失った人であるから,今さらの喪失感はない。ワタシの胸には,ぽっかりと大きな穴が,すでに7年前にあいている。だからワタシの人生は,多分,なにも変わらない。



普通に寿命をまっとうするとして,ワタシの命はたかだかあと30年,長くてせいぜい40年だ。人間の記憶は年月とともに薄れてゆく。いつかワタシも老いて,自分の年齢や生年月日や,朝飯を食べたかどうかすら,あやふやになるだろう。Kの記憶も自然に抜け落ちる。最後には,ワタシの肉体も消えてなくなる。

だから,持てるところまで,ワタシはKの記憶を持っていく。ほかのたくさんの記憶の断片と一緒に。忘れようと頑張るコトも,覚えていようと頑張るコトも,もう止める。



棺の死に顔は,とてもキレイで優しい表情をしていた,と聞いた。即死ならば,恐怖も苦痛も一瞬で通り過ぎただろう。長く苦しまなかった。そのコトだけに,わずかに慰められる。
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by rompop | 2005-12-13 11:31


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