悼む。

夢の中に一晩中,Kが出てきた。つきあい始めた頃の,ずいぶん若い姿で。そういえば夢に出てくる彼は,いつも若くて,みずみずしく笑っていた。

ぼんやりとした悲しみがつきまとっている。何をする気持ちにもなれなかったが,こんな時こそ身体を動かしたほうが良い,と思って,化粧をちゃんとして,ヨガへ出かける。

あいかわらずハードな動きを黙々としながら,壁の時計を時々見やっては,「告別式が始まった」とか「そろそろ出棺の時間かな」とか,ぼんやりと考えた。出棺の時,霊柩車は別れを告げるようにクラクションを長く長く鳴らす。まるで「永久にサヨウナラ」と言わんばかりに。床に寝転びながらその光景を想像すると,やはり涙が流れた。

今日の午後1時からあった告別式に,ワタシは行かなかった。彼の友人や大学の後輩たち,たくさんの知った顔に会う勇気もなかった。それに,葬儀に出て,遺影や泣いている遺族を眺め,棺に納められた姿を見て,彼の死を確認して何になる?7年前,哀れむような涙ぐんだ表情でワタシをみつめ,黙ってバイクで去って行ったあの日に,ワタシの世界の中で彼は死んだ。同時に,ワタシの一部も,永久に損なわれてしまった。とんでもない喪失感に,ワタシは長く苦しんで,ようやっと忘れたのだ。

彼のブログを,偶然に見つけた時は,複雑な気持ちだったが,読むのを止めることはできなかった。読めば読むほど,複雑な気持ちになった。ワタシがよく知っていた人たちは,みんな彼の周囲から消えていた。そして,もともとひどい睡眠障害だった彼は,神経性の鬱病を発症して,カウンセリングを受け,薬を飲んでいた。それでも,彼いわく『一番悲惨な状況』を,やっと乗りこえ,少しは落ち着いたあとだったらしい。わずかずつでも快方に向かい,必ず病気を克服するのだ,と,体調の良い日は,彼は希望をもってそう記述していた。

Kのほうは,おそらくずいぶん早くに,ワタシのコトを忘れ去ったに違いない。思いを強く残したほうが長く苦しむ。レンアイにおける別れとは,そういうものだ。あんな最低な別れ方をしたワタシたちは,二度と友人になれるわけもなく,ただワタシは,彼のブログにアクセスしながら,彼の生活をこっそり覗き見していた。楽しそうな記述があると嬉しくなったし,鬱がひどくて辛そうだと,気をもんだ。きっと,レンアイ感情ではなくて,姉のような気持ちに近かったのだと思う。4つ下のKは,ワタシの弟と同い年だった。彼とつきあっている時も,彼を心配して,かばう気持ちばかりがワタシにはあった。

「相手が可哀相だと思いながらつきあうなんて,それは愛情とは違うよ」と,友人Mに言われたコトがある。でも,ワタシにとってのKは,いつもどこか可哀相だった。繊細で美しい気持ちのある,優しい人だったのに,人づきあいが下手糞で,肝心のところでハズレくじを引く。自分のコトよりも,彼のコトで,ワタシは悔しい思いをたくさんした。

人は死ぬと,とたんに美しい存在になる。普段は思い出しもしなかった人たちがここぞとばかりに駆けつけ,「とても良い人でした」「どうしてもっと連絡をしなかったのか,後悔しています」「あんなに世話になったのに,心残りです」などといい,涙を流す。死んでからそんな風に持ち上げたって,もう遅い。

だからワタシも,死んだKを美化するのはやめよう。確かに彼には欠点もたくさんあった。それを含めた彼を覚えていよう。忘れよう,と今まで努力してきたけれど,忘れずに,ワタシの知っている彼を記憶にとどめよう。生きていて彼は辛かったのだろうか,それとも,もっと生きたかっただろうか,と考えるのも止そう。Kは,2005年12月8日に,バイクで車に追突し,死んでしまった。この地上から肉体は消え,魂はどこかへ去った。これだけが事実だ。38年間彼が生きてきたコトの意味を考えるのは,よそう。最後の瞬間に,彼がどんな思いを抱いたかを想像するコトも。

ただ,彼の死を悼もう。

何処か,行くべき場所があるのなら,迷わずそこへたどり着けるように。
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by rompop | 2005-12-10 18:27


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