『トミー・ノーシス』の,コト。

今日から,8月だ。月日の流れるのは,早い。指折り数えて待っていた7月(『ヘドウィグ』月間)も,怒濤のように終わってしまった。残りの夏は,ただのオマケのようなもの。


『ヘドウィグ』の舞台の中で,トミーの存在はとても大きくて,重要だ。かつて,ヘドウィグの愛情をいっしんに受けたにもかかわらず,彼女の命でもあった「音楽」をすべて盗んで,彼女の前から逃げ去った,少年。現在のヘドウィグにとって,トミーへのあらゆる想いが,すべての原動力になっている。憎しみ,嘆き,嫉妬,そして愛。ヘドウィグは,トミーをどこまでも追いかけ,求め続ける。求めながら,憎み,憎みながら,嘆き続ける。

映画版で,ラスト近くにトミーが歌う『WICKED LITTLE TOWN』は,ほんのかすかな「救済」と,別れのメッセージだ。「あの頃は何もわかっていなかったけど,今なら君の素晴らしさがわかる。でも,本当は,運命の恋人なんてただの幻想なんだよ。そんなもの,もともと無いんだ」と。そして,泣きじゃくるヘドウィグに「Good Bye」とつぶやいて,永久に去る。

どこかの映画ファンのサイトで,「トミー・ノーシスに最後に説教されるのは納得がいかない」と書いてあるのを読んだとき,思わず笑った。多分,ワタシの気持ちの中にも,近いモノがあったからだろう。でも,突き放したようなこのメッセージは,方向を見失ったヘドウィグの背中を,乱暴にではあるが,強く押したコトに間違いはない。

舞台で,ミカミ扮するトミーが歌う『WICKED LITTLE TOWN』は,同じくヘドウィグへの返歌ではあるが,少なからずニュアンスが違う。「落としたカケラを僕が拾い集めるから,新しい君を見せて」というのは,彼女への懺悔の言葉だろうが,「君のカケラの僕はここにいる」と,トミーは歌う。

おそらくトミーは,あの時,まだほんの子供だったので,ヘドウィグの全てを受け入れるコトなど,とてもできなかった。そして,野望のままに,彼女と作った楽曲を盗んで,ロックスターにのし上がった。しかし,スターとはいつの世も孤独なもの。その孤独の中で,かつてヘドウィグが自分に注いでくれた,たくさんの「愛」に,彼はやっと気づいたのかもしれない。2人が過ごしたあの時間は,トミーにとっても,確かにかけがえのない日々だったに違いないのだから。

コンサートの最後の1曲に,ヘドウィグに届けとばかりに,彼は本当の心を歌う。どこかで今も嘆いているはずの彼女に届けと,祈りながら。

そのトミーの歌声はヘドウィグに届いただろうか?届かなかっただろうか?

時は流れて,もう2人は,あまりにも遠い場所に別々に存在している。。。2人の時間も想いも,すれ違う。

どこか遠い場所で苦しんだ果てに,ヘドウィグは,「片割れを見つけなければ」という呪縛から解き放たれた。幼い頃,母親に聞かされたあの「神話」から,やっと自由になれた。そして,彼女はもう一度,立ち,この2本足の自分が唯一無二の完全体なのだと,知る。誰に導かれたのでもなく,自分自身の力で。

『空の上にはきっと空気以外,なにもないんじゃないかな』という哀しい歌詞ではなく,『空にはただ風,そこにあるのは真実だけ』と訳詞した,ミカミさん。「なにもない」と「そこに真実はあるよ」というのは,ずいぶんと,違う。届いても届かなくても,『君のカケラの僕はここにいる』と,トミーに歌わせた,ミカミヒロシ版『ヘドウィグ』は,なんというか,とても優しさに溢れていたと,ワタシは思うのだ。


もしかしたら,トミーの祈りは,ヘドウィグに届いたかもしれない。そんな風に想いをめぐらせてみるのも,ちょっと素敵かも,と思ったりしている。




朝食 マーガリンとイチゴジャムのトースト,ミルク。
昼食 カレーうどん。
夕食 母特製のハンバーグ,アスパラとレタスとトマトのサラダ,味噌汁。
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by rompop | 2005-08-01 15:58 | 三上博史&『ヘドウィグ』


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