父の肌着を1枚買い,4時ごろ病院へ着いた。
今日は,こちらへきて初めての入浴日。シャワーを浴び,髪を洗ってもらい,ヒゲも剃ってもらって,父はすっかり「すっきり」と綺麗になっていた。7月の終わり頃から風呂に入っていなかったから,かなり垢で汚く,身体も髪も臭かったのだ。
「すっきりしたなぁ」と言うと,父は笑顔。リハビリもしたらしく,疲れてはいるが,しゃんとしたカンジだった。
担当の看護師さんがワタシをこっそりと呼び,今後の嚥下リハビリについて,意向を聞かれる。誤嚥性肺炎を繰り返して,「胃ろう」となった父だが,今後,「慰め程度に」ST(言語療法士)が,少しだけゼリーなどを食べさせるコトを希望しますか?とのコト。
こちらへ戻ったら聞かれるだろうな。。。とは思っていたが,答えが出ないままだった。少しでも口から何かを入れるというコトは,誤嚥のリスクを増やすコトになるのは間違いないから。
案の定,「○○さんの場合,喉の蓋がうまく閉まらない,という状態で,しかも残留物が喉に溜まりやすい,と言うコトですから。。。」「胃ろうのあとも,唾液か栄養剤の逆流か,原因は不明ですが,あちらでも一度,誤嚥性肺炎を起こしていると,診療情報が来ていますから。。。」「なかなか難しいとは思うんですが。。。」と,いろいろ言われる。
「せっかく栄養剤が落ち着いて,これからリハビリもして体力を回復していこう,っていう大事な時に,また肺炎を起こしたら逆戻りですし。。。」とも。
要するに,病院側としては,「危ないコトは,止めておいたほうが」のニュアンス。それはそうだろうな。。。病院はいつも,危ないコトは勧めない。
今,こちらのフロアには父のほかに,胃ろうの患者さんが2人いる。1人は胃ろうのみの栄養,もう1人は,「家族のたっての希望で」,昼食時にSTさんがつききりで,アイスクリームを少量,食べさせてあげている,とのコトだった。
「その方,もちろん,嚥下障害の方ですよね?」「はい,そうです」
つまり,リスクはあっても,家族が強く希望すれば,よほどでなければやってもらえる,というコトだ。「よほど」というのは,たった一口でも,たった一滴でも口から入れれば,即,命が危険。。。というぐらいのコトだろうか。「どう考えておられますか?」と確認するぐらいなのだから,問答無用で無理!という状態でもないのだろう。ただ,なにかあった場合でも,「いちおうリスクがある旨は説明したのですが,ご家族が希望されたから」で済まされてしまうだろう。
即答できるわけがない。「少しご家族で相談されてください」と言われる。
夕食の配膳が始まった。父は,ベッドをギャッジアップして栄養を注入してもらっている。普通の患者さんたちの配膳がバタバタと終わってから,いつも父は後回しだ。
6時すぎ,先に白湯を少量,注入される。これは摘下なので,10分ぐらいかかる。終わったあと,15分ぐらいしてから,栄養剤。でも,食事介助が大変な患者さんたちがいると,看護師さんの手が空くまで,父は待たねばならない。
父のベッドと隣のベッドは,本当に間隔がせまい。隣の患者さんは,なんの後遺症なのか,手や足が,ひどく変形してねじ曲がってしまっているが,それでも,柄の太いスプーンを使って,ちゃんと自分でお膳から食べている。ただ,箸でつまむことができない分,器に口をつけて,ズルズルとすすりこむような食べ方になるのは,いたしかたないだろう。
しかし,父にはそんな事情はわからない。空腹なのに,すぐ隣からは,生温かい食事の匂いと,ズルズルと大きな音が絶えず聞こえてくる。隣のオジさんは苦労しているのだが,音だけ聴いていると,ものすごく美味しそうに夢中で食べているように聞こえる。
父は忌々しそうに,何度かチラッと隣のベッドをにらんだ。隣のオジさんのお膳が見えないように,ワタシはテレビ台を微妙に動かしたりしてガードしたが,ムダな抵抗だった。
耐えかねるように,「あぁ,食べたいなぁ」と父が唸った。「そうだね,辛いなぁ」と小声でワタシは答えた。「隣の人が羨ましいなぁ,あんなに美味しそうに食べてる」「・・・そんなに美味しそうでもないよ・・・」と,やっとの思いで言った。「いや,美味しそうな肉団子だった」父はしっかり,隣のおかずをチェックしていた。
6時半過ぎに,やっとのコトで,栄養剤をもった看護師さんがやってきた。腹がふくれれば,少しは気持ちも治まるだろう。。。
半分ぐらい注入したあと,看護師さんが父に尋ねた。「○○さん,お腹痛かったり,ムカムカしたりしてないですか?」「お腹は大丈夫だけど,ムカムカします」「あら!?胸が気持ち悪いですか??」
むかついたら,とりあえず,注入を中止しなくてはならない。
「胸は大丈夫だけど,気持ちがムカムカします!」と父。「え?気持ちがムカムカしますか?」と,看護師さんは,父の顔をじっと見た。
「すぐ横であんなに美味そうに,ズルズル大きな音を立てて!我慢できない,何とかならんのか!?」父は大きな声を出した。
ワタシも看護師さんも,隣のオジさんも,固まった。。。。おっとりした優しいタイプの看護師さんは,少し黙っていたが,「そうか。。。食べたくなっちゃうもんね,辛いですよね。。。また,先生に聞いてみないとね。。。」と言った。
父はもう,それっきり何も言わなかったが,口をかすかにとがらせて,目を閉じてしまった。ワタシはどう話しかけていいものやらわからず,ベッド脇に座って,父の顔ばかり見ていた。